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東京都生活文化局都民協働部青少年課 御中
都民意見担当 様
第25期東京都青少年問題協議会答申「東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部改正」についての意見募集がありましたので、下記の通り、一市民として意見を申し述べます。
氏名:北野桂
住所:
電話番号:
第25期東京都青少年問題協議会答申「東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部改正」についての意見
■結論
第25期東京都青少年問題協議会答申「東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部改正」案(以下「答申」と略する。)については、市民が同意し得る科学的根拠・理由に欠けており、あるべき青少年政策として不合理であるから、これをすべて白紙撤回したうえで再諮問し、指定に対する異義申立制度の創設を含め、科学的な根拠に基く合理的な青少年政策を、東京都青少年問題協議会において再検討すべきである。
当然の帰結として、最低限、東京都青少年問題協議会における再検討がおわるまでの間は、東京都として「答申」に基く条例改正案を東京都議会に提案することは差し控えるべきである。
また、今回の「答申」によって、青少年政策の策定と実施に不快感と不信感を市民に与え、混乱と失望を招いた責任の所在を明確にし市民の信頼を回復をするため、今回の東京都青少年問題協議会答申の議事進行及び決定に深く関わった加藤諦三部会長並びに前田雅英副部会長を東京都として更迭し、市民的責任を果たす意欲のある出版流通関係者・学識経験者を含め青少年問題協議会の人事を刷新すべきであると考える。
■総論
・「答申」は従来の青少年政策に対する総括が不充分である
「答申」は、「はじめに」において「大多数の子どもたちは健やかに育っている」との認識を示している。
もし大多数の青少年が健全育成されているとの認識が事実なら、従来の健全育成政策が成功していることの証左であるから、従来の健全育成を変更する理由は無い。
自己矛盾した認識の前提の上に立った政策は不合理であるから、これを撤回し再諮問すべきである。
そもそも「答申」は、東京都における過去の健全育成政策がどの程度成功し、どの程度失敗したかという客観的で総括的認識について明確性を欠いており、自己矛盾している。
・「答申」が求める改革は個人的主観を動機としており科学的合理性を欠く
「答申」は、東京都における過去の健全育成政策の実効性と有効性の是非について科学的且つ合理的な検証をしていない。
「答申」の「子どもの規範意識と行動は憂慮に堪えないものがあり危機的状況にあるという認識を部分の都民は共有している」という文に象徴されているように、実際の社会が科学的にどうなっているのかではなく、一部の都民の主観的認識がどうなっているかを提言の根拠としている点は極めて疑問である。
加藤諦三専門部会長は、2003年11月10日の第3回専門部会において、「科学的根拠との関連性についてではなく、社会的通念として望ましくないという共有をどう有効に実行していくかというところに議論の焦点を合わせたい」と発言した。
加藤諦三専門部会長のポピュリズム的で無責任な発言に象徴されるように、「答申」は、東京都における過去の健全育成政策の実効性と有効性に関する科学的且つ合理的な検証を怠っており、都民の個人的な体感治安、都民の個人的に理解できないものに対する不安感と不信感、個人的で主観的な危機意識、個人的な不快感など、個人的な主観を改革の動機の全面的な拠り所としている。
「社会通念」なるものの具体性は定かではないが、定かではなく抽象的な「社会通念」なる広汎な概念を規範の拠り所とするが如き「答申」は、換言すれば共同体的価値観を共有し得ない多様な価値の共存の上に生活する市民にとっては到底容認し得ない「前近代的」な施策を意味する。
係る観点から、「答申」は撤回し再諮問すべきものと考える。
・「答申」は「健全」についての原点を喪失している
「答申」の「はじめに」は、「われら都民は、心身ともに健全な青少年を育成する責務を有することを深く自覚し、青少年もまた社会の成員としての自覚と責任をもって生活を律するように努めなければならない」との条例の前文を引用し、大人に責任ある行動を求めるとともに青少年自身の自覚を促す必要性を説いている。
だが「答申」が示した「健全」という言葉の認識は、「健全」の本義ではなく、「健全」という言葉の原点を喪失した認識といわざるを得ない。
そもそも、条例で使われている「健全」という言葉の本義は、WHO(世界保健機関)憲章の「健康の定義」に由来している。
WHOが定めた「WHO憲章」前文において、健康は「完全な肉体的、精神的及び“社会的福祉”の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」( "Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity." )と定義されている。
すなわち、単に心身に病気が無い状態が「健全」なのではなく、“社会的福祉”すなわち社会自身も健康であり、心身の健康を維持する社会福祉、心身の健康を損なう環境を改善させる社会福祉、心身の健康を回復させる社会福祉などが全て備わって、はじめて「健康」であるとされる。それが「健全」という言葉の本来の意味である。
たとえば、特定の人間の肉体に疾病が存在していなくても、その人間に経済的能力が無く病気になった時に治療を受けられない状態であったり、その人間が住んでいる地域に病院が無かったり、治療薬が無かったり、あるいは福祉制度が不充分だったりしているなど、社会が病んでいる場合は、精神、身体、そして社会福祉の三者「全てが健康」であるとはいえないから、国際的基準としては「不健全」である。
これは青少年の非行に関しても同様である。病気にならない人間が一人もいない社会など存在し得ないように、青少年の非行がゼロになることはあり得ない。
青少年個々の問題が一定量発生することがあっても、現実に発生した非行や犯罪被害に社会が青少年に手を差し伸べられる福祉システムが整備されていることが、トータルな意味での安全であり、青少年の「健全」な育成であると考えるべきである。
・「答申」のインターネットに関する考察は根拠に欠ける
「答申」は、「インターネットは著しい卑わい性のある画像と動画が視聴でき青少年が容易にアクセスできることは青少年の健全育成に与える影響が大きい」との認識を示している。
しかし、青少年問題協議会は、
1 インターネットは文字通りインターナショナルなものであり海外サーバ上のデータへのアクセスが容易であることは、インターネット上のポルノグラフィに過剰に反応する前近代的価値観を備えた一部の成人のを除けば、阻害要因ではなく長所として受けとめられているという事実、
2 東京都の行政区域に存在するインターネットサーバー上のデータはインターネット上のデータのごく一部でしかないという事実、
3 主体的且つ選択的にアクセスしない限り画像と動画を視聴することはできず受動的且つ偶発的に視聴させられることはほとんどあり得ないという事実、
4 インターネットは青少年の健全育成に役立つ情報を飛躍的に普及させている事実、
5 そもそも子どもには「子どもの人権条約」が示しているとおり自己決定権や情報権が存在している事実、
6 子どもの人権の実現にとってインターネットがきわめて重要な役割を示しているという事実、
7 わいせつ物のとりしまりについては、警察・司法当局が実効性ある取り締まりを既に実施しており、現行法の運用で対応できるとの認識を警察当局自身が示しているという事実、
8 多くのプロバイダがわいせつ情報などの送受信に関する取組を実施しており、日本国内の多くのインターネット利用者は国内のプロバイダとの契約においてわいせつ情報などの送受信に関する契約上の禁止義務を課されている事実、
9 テレコムサービス協会などの業界団体が、インターネット接続サービス契約約款モデル条項、インターネットの苦情事例集、インターネット接続サービス等に係る事業者の対応に関するガイドライン、インターネット自己防衛マニュアル等を発表し普及させているなど、業界としての対応に乗り出し、一定の成果をあげ、政府もその実績を評価しているという事実、
10 いわゆるインターネットフィルタリングシステムが日本国内で大規模に開発、販売され、多くのインターネット利用者に普及され、実効性ある効果をあげ、政府や倫理団体等もこれを評価しているという事実、
の各々について、十分な検討を怠っている。
また青少年問題協議会は、「与える影響が大きい」との影響力の評価を述べてはいるが、その科学的根拠については不明である。
また青少年問題協議会は、「容易にアクセスできる」とインターネットのアクセシビリティについて評価しているが、容易にアクセスできた結果としてインターネットが普及する以前よりどれだけ青少年が不健全になり青少年による凶悪犯罪が発生したかという問題について、データは示されていないし検討もされていない。
係る観点から、「答申」は撤回し再諮問すべきものと考える。
・子どもの環境よりも先に大人の心の問題を解決すべきである
インターネットに代表される新たなコミュニケーションメディア(答申が問題視する性風俗やスカウト等を含む)は、近代的価値観を持たない前近代的価値観の成人にとっては、喩えるなら冷戦時代の東側社会における衛星放送であり、幕末における黒船であり、北朝鮮における携帯電話のごとき、「共同体的価値観の危機」をもたらす存在である、という意味において危機を招く存在であると目に映ると思われる。
「答申」が殊更に強調している危機の実像とは、治安の危機でもなれば子どもをとりまく環境の危機でもなく、結局のところ、「共同体的価値観を他人に強制したがる一部の復古主義者のアイデンティテイの危機」にすぎない。
「答申」が想定する子どもの環境への不安の本質とは何か。
子どもの非行や子どもを取り巻く環境が問題なのではない。
石原知事が東京心の革命政策の中で「オヤジの会」を作ろうと述べたことに象徴されているように、価値環境の変化に適応する子どもの姿を見て価値環境の変化に適応できないオヤジが焦燥し、子どもの非行が問題だと考える以外に急速な社会変化への不安感を除けない「オヤジオフクロ自身の心の問題」であり、共同体的制度に甘えつづるオヤジオフクロたちの問題である。
2004年1月20日、東京都の条例改正をテーマに番組が組まれたTBSのラジオ番組「BATTLE TALK RADIO アクセス」において、評論家の宮崎哲弥氏と東京都青少年問題協議会の斎藤環委員が「非行防止効果を示すデータは無く、条例改正は気休めにしかならない」「親を甘えさせる条例作ってしまった」などと発言していたが、全く正しい指摘である。
条例の改正動機だけを変更し、従来の古典的な方法論を踏襲したまま制度を強化しても、子どもの安全や健全な育成が実現されることはないであろう。
それは、東京都が東京都デートクラブ営業等の規則に関する条例を施行させた後、新たな性風俗産業が勃興し、結果的に条例が新たな犯罪被害を発生させ、予測し得ない新たな社会不安を増大させる可能性を生むとの条例批判者の批判が的中した過去の事実によっても証明されていると思われる。
東京都は過去の失敗に学び、青少年政策の新たな方法論を検討し直すべきである。
・「答申」は情報接触と精神的成熟との関連性についての科学的な考察を怠っている
「答申」は、「大人に許されることの全てが、子どもにも認められるわけではない。大人には認められているが、精神的に未熟な青少年が触れるべきでない情報、行うべきでない行動を明確にすること、すなわち、子どもの世界と大人の世界を、大人が責任をもって線引きすることが、有効」と述べている。
「線引き」については同意できるとしても、誰が線引きをするのか、東京都がその線引きをするのか、各々の家庭で線引きをするのか、線の引き方に「絶対的な解答」はあるのかという点については、明確な合意があるわけではなく、十分な議論が尽されたとは言い難い。
「答申」は、情報接触と精神的成熟との関連性について、どの程度精神的な未熟な子どもがどの程度、或いはどのような質を持つ情報と接触することで、どのような影響を与えるのかという因果関係に関する仮説を検証・考察していない。
たとえば、メディアが人の行動に与える効果に関するメディア影響効果については、観察学習効果、脱感作効果、カルティベーション効果、カタルシス効果など、様々な理論仮説が存在している。
だが、こうした仮説に関する科学的・学問的な検討・検証も、委員の検討検証を求める強い意見があったにもかかわらず、加藤諦三専門部会長や前田雅英専門副部会長など一部委員による恣意的な協議会運営により、放棄された。
メディアが発信する情報の内容そのものよりも、子どもが情報を受容している時の環境によって、子どもの情報の需要影響は大きく左右されるとの学問的研究に基く政策立案についても、青少年問題協議会は検討を放棄している。
そもそも悪影響の「悪」とは何か、条例が単純化して定義できるかという点についても疑問がある。多様な「悪」をお互いに容認し合いつつお互い自由を干渉しあわない住み分けシステムとしての「ゾーニング」に関する議論も不充分であった。
いずれにせよ、青少年政策に関して学問的検証を期待されている青少年問題協議会が、科学的な政策検証を放棄し、イデオロギー主導的な政策を「答申」において強引に導きだしたことは望ましい政策提案とは考えられない。
係る観点から、「答申」は撤回し再諮問すべきものと考える。
・問題認識は変ったが問題解決方法が変っていない
「答申」は、治安回復のためなどという耳ざわりの良いキャッチフレーズに基く大胆な改革を標榜しているようであるが、「答申」が示す個別の施策は、「寝た子を起すな」理論に基く70年以上も前から続いている古典的な情報遮断政策を踏襲したものにすぎず、青少年が真に求める改革の歩みを一歩も踏み出してはいない。
喩えるなら、運転手が変ってもバス路線が変らない限り乗客は何度乗っても同じ目的地に到達するように、「答申」も、危機感の煽り方だけが変っただけで、危機や問題を解決する方法論については従来の共同体的価値の強制、或いは情報遮断政策から、一歩も進歩していない。
子どもの権利条約をの条例の展開についての議論、子どもの自立性と自主的な判断能力の育成、リテラシーを高める観点から改定に関する議論など、社会教育的見地に基く自立性の促進のための施策については、極めて不満足な審議であった。
係る観点から、「答申」は撤回し再諮問すべきものと考える。
・早急に結論を出すべきではない
「答申」は、「緊急の課題に対して早急に結論を出すべく精力的に検討を進めてきた」としている。
「緊急の課題」と評しながら、緊急性が求められる具体的な問題性とは何かについて具体的な説明はなされなかった。
青少年問題協議会および同専門部会の審議については、多くの市民から「結論先にありき」であり、議論を省略した性急な審議であり、係る「答申」は議論すべき論点を置き去りにした不適切な結論を導いたのではとの疑問は多く聞かれる。自分も「答申」は議論を省略した性急な審議による「結論先にありき」の結論であったと考える。
特に、不健全指定図書類に関する審議に関しては、関係業界団体、青少年、書店関係者、規制対象図書類の創作関係者、メディアの影響力に関する研修者など、諮問の審議にとって必要不可欠な議論に関わる関係者に対するヒアリング、意見陳述、公聴会等の機会は十分に与えられなかった。
また、審査期間中における審査に関する資料や会議記録に関する情報公開も十分ではなく、市民間の議論も満足に行えなかった。
係る混乱とボタンの掛け違いの結果としての「答申」は撤回し、再諮問することが青少年にとっての最善の選択であると考える。
■各論
第1章これまでの歩みと深刻な現状
「1 都における青少年健全育成の経過」について。
・「答申」の青少年政策に対する評価は自己矛盾している
「答申」は、「都は、急速に進展するメディア社会化への対応、具体的には、大人の責任としての有害情報のより有効な制限と、青少年自身のメディアリテラシーの向上が図られた。」と指摘している。
指摘された「有害情報」なるものが具体的にいかなる情報か、「有害情報」なるものに対する制限の効果については定かでは無いが、少なくとも東京都自身の認識としては現行の青少年施策に有効性があるとの認識を示したものと言える。
ところが「答申」は同時に、「昨今の青少年問題は座視し得ない段階に達しており、その対策に早急な見直しが求められている」とも述べている。
もし仮に、「青少年問題は座視し得ない段階に達し」ていることが事実であるならその結果責任は、「有害情報」の排除といった手法を半世紀近くに渡って継続採用してきた従来の青少年政策に帰すべきであり、「有害情報」の制限といった古典的政策手法を持つ青少年政策自体を抜本的に見直すことが合理的である。
「有害情報」の制限といった古典的手法を持つ青少年政策自体に対する見直しを「有効」という言葉で回避する一方で、「昨今の青少年問題は座視し得ない」と評価し「有害情報」の制限といった古典的手法を維持強化することを求めている「答申」は、自己矛盾している。
「深刻」な事態が仮にあるとするならば、そのような事態を招いた政策責任の所在は東京都にある。にもかかわらず、東京都の青少年施策の責任追求という本来あるべき批判を回避し、「有害情報」の規制を強化せよとの都民感情に迎合したのだとすれば、あるべき実効性ある合理的な青少年政策からかけはなれた、スケープゴートを増やしただけの政策と指摘せざるを得ない。
「2 深刻な現状と対策見直しの必要性 」について
・「答申」は、一部の大人の青少年への無理解さを弁護している
「答申」は、「万引きを犯罪と思わない、風俗産業に誘われることに抵抗感を持たないなど、一部の青少年の意識」について「大人には到底理解しがたい」と言及している。
青少年の意識への理解の欠如は、「大人には到底理解しがたい」と言及している大人の側の問題であり、ただ単に青少年問題協議会が青少年の意識についての理解を欠如している青少年問題協議会自身の未熟さ、子どもっぽさを露呈したにすぎない。
常識的に考えて「子どもを理解できない大人」が子どもを正しく指導し、子どもにとっての最善となる社会政策を提言できるはずがないではないか。
係る観点から、「答申」は撤回し再諮問すべきものと考える。
・深夜外出している青少年全員が少女監禁をするわけではない
「答申」は、「深夜に子ども達があてもなく徘徊し、たむろしたり、以前にはなかったカラオケボックスなどで深夜まで過ごす青少年もいる」と指摘し、「長崎・沖縄の中学生による殺人事件や渋谷の少女監禁事件に見られるように、犯罪の加害者や被害者になる子どもたちが増加している」と指摘している。
しかし、青少年問題協議会は、なぜ深夜に子どもが外出しているのかという点に関する実態把握調査を実施しておらず、実態把握に基く検証も行っていない。
また、青少年問題協議会は、指摘された長崎・沖縄の殺人事件、渋谷の少女監禁事件と深夜外出している青少年との関連性について調査検証を実施しておらず、不明である。
深夜に外出している青少年のすべてが少女監禁しているとの事実は存在せず、深夜の外出がただちに少女監禁事件に結びつくわけではないとの認識は、一般市民の常識的な理解であると思われる。
であるなら尚更、個々の事件に関する事実に基く検証が必要であるが、こうした検証の努力を、残念ながら青少年問題協議会は放棄し、「答申」で考察されることは無かった。
係る観点から、「答申」は撤回し再諮問すべきものと考える。
第2章青少年が健全に育つ環境をつくるために
「1 有害情報への対応/@ 不健全図書の規制に関する基本的考え方」について。
・「答申」が求める規制は最小化措置の論拠が無い
「答申」は、「不健全図書に関する規制は公共の福祉の観点から、必要最小限度の規制を行うものであり、成人への販売を不当に規制するものではない」と説く。
理屈は正しいが、新たに求める規制が「必要最小限度」であるとする根拠は何ら示されておらず、それ以外に他に採り得る手段が存在しないと市民が納得できる説明は無かった。
他にとり得る手段は無いと言えるためには、現行制度の従前な施行の検証は欠かせない。
「規制の内容が青少年の健全育成という目的に照らして相当なものである」とする「答申」には根拠は無く、「出版、表現の自由の不当な侵害には当たらないと考えるべきである」との「答申」の判断には理由が無い。
・不健全図書の定義と有害情報と犯罪に因果関係の視点に関する議論を放棄すべきではない
「答申」は、「不健全図書とは何か、有害情報と犯罪に因果関係があるかなどの視点からの議論もなされ、この点については委員の間の意見の一致を見なかった」とした上で、「今回は、現行の法体系や判例を前提に検討を進めることとなった」としている。
不健全図書の規制に関する政策策定において、不健全図書類の定義、有害情報と犯罪の因果関係の有無といった基本的な認識について意見の一致をみないまま議論を進め結論を出したこと自体、驚嘆すべき異常な答申であり、あってはならないことである。
議論を尽して結論を出すという基本的なルールさえ守れない青少年問題協議会に、青少年問題を議論する資格があるのか疑問に感じる。
・制度は万能ではない。
「答申」が求める施策には、規制ルールを作れば公共概念が養われるとの前提があるが、理由が無い。
規制するルールを作って公共概念が養われるのであれば、既に東京都の青少年は十分に公共概念が養われているはずである。
制度は万能ではない。
東京都、特に警察当局の制度施行の怠慢を含め、制度を作り、運用してきた人間・組織ひとりひとりの判断と行動の検証が必要である。
係る観点から議論を市民の目から見て十分に尽くさなかった「答申」は、撤回すべきものと考える。
・不健全図書は350から500誌程度という認識には理由が無い
「答申」は、「著しく性的感情を刺激し、青少年の健全な育成を阻害すると思われる不健全図書は350から500誌程度と推測されている」としている。
青少年の健全な育成を阻害すると思われる雑誌数が350から500誌とした判断の根拠が何か、どの出版者の、どの雑誌の、誰の作品の、どのコマを指しているのか不明であり、「健全な育成を阻害すると思」う判断基準がいかなるものかも不明であるため、「不健全図書」の雑誌数の妥当性の検証ができない。
東京都健全育成審査会が審査し東京都が実際に指定したビデオを除く不健全図書類の年間指定数は、個々数年は、100±30件程度で推移しており、350誌よりもずっと少ない指定数である。
仮に、不健全図書が350から500誌程度存在するのであれば、東京都健全育成審査会及び東京都は、条例第8条の施行責任を果たしていないという不作為責任があったことになり、東京都健全育成審査会及び東京都知事は条例施行の不作為責任をとるべきである。
が、「答申」は、東京都健全育成審査会及び東京都知事の条例施行の不作為責任を問題点として指摘しておらず、東京都健全育成審査会及び東京都知事の条例施行結果を消極的に容認している。
東京都健全育成審査会及び東京都の条例施行の不作為責任を問わなかった「答申」は、過去の指定の妥当性を認めたのと同義であるから、「200誌から350誌程度の雑誌が何らの表示もされずに出版、販売されていること」をそもそも問題視する理由も無いはずである。
・区分陳列強化の必要性以前の問題が検討されていない
「答申」は、「書店等の区分陳列状況についての立入調査結果によれば、無表示の不健全図書が都内の書店やコンビニ等の約3割の店舗で、一般図書と区分されずに陳列されており、青少年を健全に育成する上で、極めて悪い環境にある」としている。
東京都で11000店を超える書店及びコンビニ等の中からたった28店の再検証不能な非公開のサンプル調査結果をとりあげて結論を導く分析手法には統計学的な有意性に疑問があるが、その点を度外視(すべきではないが)したとしても、3割の店舗で区分陳列されていないことのみをもって条例改正の必要性の論拠とするには疑問がある。
「答申」が示す調査結果の「無表示の不健全図書」なるものは、すべての書店・コンビニで陳列されているわけではなく、「無表示の不健全図書」を陳列している書店は一部の店舗に限定されていることは、専門部会におるコンビニ関係者の発言より明かである。
3割の店舗で区分陳列されていないとの調査結果は、「陳列している店舗の中で」という前提がつくのであって、全店舗の3割で「無表示の不健全図書」が区分陳列がされているわけではないから、「極めて悪い環境にある」との「答申」の評価は誇張した認識と言わざるを得ない。
そもそも、書店は、不健全図書の表示がある無しに関わらず、条例第9条2項により不健全指定図書を区分陳列する義務が課されている。
仮に区分陳列が実施されていない指定すべき図書があれば、東京都が現行条例に基き指定すべき不健全図書類を指定し、東京都が現行の区分陳列を指導すればよいだけである。
しかし、結果的に東京都は指定をしてこなかったのであるから、つまり不健全な図書は元来その程度しか存在しなかったと考えられる。
さらに、区分陳列違反書店で青少年が不健全図書を購入した結果としてどの程度青少年が不健全となり、どの程度凶悪犯罪を引き起こしたのかというデータは明かではない。自主的規制が青少年を凶悪化させているという論拠も不明である。
区分陳列違反等について直ちに刑事罰の対象とすることを求める向きもあるようだが、根拠不明の議論をむりやりつなぎあわせた結果として区分陳列違反者に対してなんらかの罰則が課せられるとすれば、これほど理不尽な規制は無いであろう。
・包括指定制度は採用すべきではない
「包括指定制度」の問題の本質とは、誰もが指定権者になり得ながら指定の解釈の矛盾は一般からは見えない非公開の行政組織の中で調整され、しかも指定の責任は行政責任は一切負わないという制度構造を持つ。
包括指定制度は、誰もが解釈権を持つから、規制すべき図書類の判断に齟齬、矛盾、混乱が発生し得る。さらに、規制すべき図書類の判断に齟齬、矛盾、混乱が発生した場合の解釈の調整において、知事及び行政当局が不健全指定の解釈調整権限を事実上独占するという制度構造を持つことにより、極めて恣意的な指定図書の選定と指導を一般に公開されない行政内部活動において実施でき、また指定解釈の責任を行政当局が直接負わないことができる。
包括指定制度の場合は、指定解釈を実質的に担う行政に解釈調整責任が問われないため、無軌道で無責任で恣意的な不健全指定が指定権者によってなされる可能性があり、本来は指定すべきではない図書が一般陳列から排除されたとしても、それを抑止する制度的担保が存在しない。ブレーキが無い自動車を配って走らせているようなものである。
対して個別指定制度の場合の指定権者は知事一人だけであるから、指定に関する解釈運用の責任の所在が明確である。
指定権限が特定される個別指定制度においては、無責任で恣意的な不健全指定は抑止されると一般には考えられているし、東京都自身、個別に責任ある指定権者が権限の責任に基いて不健全指定図書類を指定しているとの認識を、不健全図書訴訟において示している。
係る包括指定制度の欠陥については、「答申」は言及していない。
包括指定制度に対する「答申」の態度がどうであれ、東京都青少年の健全な育成に関する条例第8条に基づく指定権の専権性を無くし、知事以外の者が一定範疇の表現が含まれる図書類を自動的に「不健全」図書類とみなし得る制度(包括指定制度)は導入すべきではない。
尚、「答申」は、「不健全図書類を指定する場合に、あらかじめ条例に、卑わいな姿態が、雑誌等については、一定ページ数以上又は総ページの何分の1以上、ビデオ等映像については、描写時間が連続何分以上又は合計何分以上等と定めた、分量的な基準に該当するものを自動的に不健全図書類とみなす方式」を「包括指定制度」と考えているようであるが、この認識は誤りである。
なぜなら、個別指定を審査する健全育成審査会や指定権者の知事が、個別指定制度の実際の「運用」に際の判断基準において「一定ページ数以上又は総ページの何分の1以上、ビデオ等映像については、描写時間が連続何分以上又は合計何分以上等と定めた、分量的な基準に該当するものを自動的に不健全図書類とみなす」ことは可能であるし、健全育成審議会における審査状況を検証した者が一様に指摘したように、また健全育成訴訟において出版者側提出の証拠・証人尋問により証明されたように、現行個別指定の運用はまさに分量的な内部基準を自動的に当てはめるた指定となっている。
個別指定制度の実態は、いわゆる分量的な内部基準を適用するという意味では「包括指定制度」の運用と差があるわけではない。
指定方法がどうであれ、解釈の恣意性を排除する制度的担保がなければ恣意的指定はなされ得る。
・精神的自由権を実現する「ゾーニング」としての区分陳列制度は、最小化措置の条件を満たす場合に賛成である
個別指定制度の問題点については、東京都は不健全指定裁判において、出版者が当該制度の問題点を多々指摘している通りである。
そもそも、いわゆる「不健全図書類」が青少年の健全に有害や影響を及ぼすとの議論には理由が無いが、青少年が保護を受ける権利と精神的自由権の衝突においては日本国憲法の基本原理に基づくバランスのとれた権利調整が必要であるし、芸術的審美観、教育観、言論の自由、表現の自由、思想信条の自由などの精神的自由権の多様性を確保するとの観点から、対立し合う多様な表現が相互に共存しつつ流通する環境を担保するための制度として「ゾーニング」を
実現すべきである。
この意味において、最小化措置が講じられる場合に限り「区分陳列制度」の維持継続は条件付で賛成である。
多様な教育観と精神的自由権の共存を実現する「ゾーニング」の発想によって実施される「区分陳列制度」の最小化措置の必要条件については、下記の問題点が従来より指摘されており、係る問題を解決するための制度的、組織的、財政的な条件を検討・整備する必要があると思われる。
1 「不健全」の該当性審査基準の抽象性を排除する制度的担保が存在しない。
2 「不健全」の該当性審査基準の解釈の恣意性を排除する制度的担保が存在しない。
3 「不健全」の該当性審査基準の合理性を検証する制度的担保が存在しない。
4 「不健全」の該当性審査基準の解釈の合理性検証の前提となる制度的透明性が十分に確保されていない。
5 「不健全」の該当性審査基準の解釈の合理性検証の前提となる透明性を確保するための情報公開条例の開示請求権は、情報公開条例運用上の非開示指定対象を広げすぎており透明性を担保していない。
6 審査結果の恣意性を是正するための制度的担保が存在しない。
7 恣意的な審査結果による被害を救済するための制度が存在しない。
8 指定の効果評価制度が存在しない。
9 指定の効果評価基準が存在しない。
10 指定の効果評価組織の公正性を担保する制度が存在しない。
11 健全育成の効果評価結果が一定条件を満たさない場合に指定を自動的に解除する制度が存在しない。
12 指定が一定年限後に再指定されない場合に自動的に解除される制度が存在しない。
13 指定制度運用事業に関する行政の定期的報告義務に関する制度が存在しない。
14 指定制度運用に関し青少年参加の機会を保障する制度が存在しない。
15 指定制度運用政策に関し、表現・出版・出版流通者の参与の機会を保障する制度が存在しない。
16 指定制度そのものを定期的見直す制度と組織が存在しない。
17 青少年の健全育成のために実施される自主規制に係る費用の財政的支援制度が存在しない。
18 子どもの人権条約が想定している青少年の自己決定権、青少年の「情報権」、青少年自身が求める本を「読む権利」を保障する規定が存在しない。
上記指摘18項目すべての問題を解消する条例が提案されるという条件が満たされる場合は、必要最小化措置が講じられ成人への販売を不当に規制するものではないと認められるため、「ゾーニング」としての区分陳列制度は容認されるべき制度と考える。
・情報流通規制によって青少年の凶悪化を是正できるとの仮説には疑問がある
「答申」は、他道府県の「有害情報」への対応状況を説明しているが、東京都よりも厳しい情報流通規制を条例で整備している地方自治体において、東京都よりも青少年が格段に健全に育成されていると市民が納得し得る根拠は明らかにされていない。
警察庁の統計によれば、触法少年の凶悪犯人員と「有害情報」流通規制制度の間には、有意な相関関係はみられない。
たとえば、「平成13年度中における少年の補導及び保護の概況」の都道府県別触法少年(刑法)行為態様別補導人員」の統計報告によれば、厳しい「有害情報」流通規制制度を採用している地方自治体においても高い凶悪犯罪(4犯罪)発生率を持つ自治体が存在し(例えば福岡県10人、大阪府19人に対し、警視庁は7人)、「有害情報」流通規制制度が存在しない長野県では凶悪犯の補導人員は0人であった。
情報流通規制の強めれば青少年の凶悪犯罪発生数が減るとの「答申」の認識には、根拠が無い。
1980年から1990年までの十年間に、マンガ雑誌の売上げは1661億円から2840億円へとほぼ倍増し、マンガ単行本の売上げは、563億円から1645億円へと三倍以上に増大した。
1980年から1990までの十年間に、強姦で検挙された少年男子は984名から445名に半減し、強制猥褻で検挙された刑事責任年齢少年男子も720名から538名と、四分の三以下に減少している。
こうしたデータもマンガの流通と犯罪発生の因果関係の薄さを物語っている。
尚、強姦と強制わいせつが減少した1980年から1990までの十年間、東京都の不健全個別指定は1983年をピークに減少傾向を辿っていた。東京都の不健全個別指定数の減少と強姦と強制わいせつが減少の間に相関関係があることを連想させるデータである。
・区分陳列方法により財政的支援を保証する制度を創設すべきである
「不健全図書であっても成人には販売できるということが前提である」との答申の前提には、出版の自由の観点から、賛成である。
しかし、条例第9条2項では「東京都規則で定める」方法によって区分陳列がなされたものとみなされることになっており、条例施行規則第14条五項では「指定図書類をビニール包装の方法により、容易に閲覧できない状態にして陳列する」場合は区分陳列がなされたものとして「青少年制限の掲示については、これを要しない」と規定している。
ビニール包装により区分陳列がなされたものとみなすという現行条例施行規則に基く規制方法は、専門部会において指摘された通り、五項以外の方式による区分陳列方法を財政的に採用できない中小零細書店への配慮としては評価できる。
しかし、ビニール包装は成人の読む側から見れば当該図書の内容を吟味することが困難であり、成人の出版物選定権を不当に阻害する結果となっていることから、「成人には販売できるという前提」が完全に保障されているとはいえない。
「成人には販売できるという前提」を確保しつつ且つ実効性ある区分規制を実現する観点から、条例施行規則第14条四項までの区分陳列については、一定の条件で東京都が財政的支援を施す制度を創設し、区分陳列をしたくても経済的に困難な善意の事業者を保護することが必要である。
東京都が青少年健全育成のために本気で取り組むのであれば、その決意に応じた財政も用意するのでなれば真に実効性ある青少年施策とは言えない。掛け声だけの規制ではなく、財政的根拠を持つとの覚悟がを含めた規制当事者としての責任を全うしてこそ、真に青少年の健全な育成環境をつくり得ると思われる。
・流通構造上「上流」規制となっている都条例の厳密な運用は、精神的自由権保障の担保として必要である
「答申」は、地方における条例規制と東京における条例規制を恣意的に同列視しているが、地方の条例と東京との条例は、条例機能は異質であり、単純な比較はできない。
全国の出版卸市場における流通量の9割に対する自主規制と連動した東京都の指定制度は、即ち全国すべての書店における「上流の」出版流通規制と同義であると言っても過言ではない。
一方、地方における包括指定制度を含む条例規制は、出版流通の「下流」に対する規制として発展強化されてきた経緯があり、対して東京都におる条例規制は情報流通の「上流・中流」に対する規制として機能してきたという点で地方の情報流通規制制度と大きな違いがある。
であるからこそ、「上流」規制である東京都におる指定において抑制的な判断をし、精神的自由権に配慮していた従来の東京都の施政には合理性があり、健全育成審議会に諮問する指定候補図書の選定段階において厳しく吟味してきた過去の施政は正当である。
東京の出版卸流通の一極集中という、第二次世界大戦以前に国家総動員体制のもとでつくられた国際的にも軍事独裁政権以外まれな閉鎖的な流通構造が今後も続く限り、東京都において実施されてきた自己抑止的な条例運用は、東京一極集中という出版流通構造という特殊性を保持しながら言論表現出版の自由など憲法が保障する精神的自由権を同時に両立させる担保として、当然に継続されなければならないと考える。
・「一般都民の感覚」は単一ではあり得ない
「答申」は、「多くの不健全図書が表示図書とされずに店頭に陳列され、個別指定される現状にあるとの指摘を考慮すれば、出版業界には、表示図書制度の運用実態と一般都民の感覚との乖離を深く自省し、適切な運用に向け、制度運用の抜本的な見直しを早急に行うことが求めら」れるとしている。
だが、そもそも「一般都民の感覚」とは何なのか。「答申」は「一般都民の感覚」の内容について明かにしていない。
「一般都民の感覚」なるものを、誰が、どのような方法で、どんな基準で定義し、判定するのか。「一般都民の感覚」は単一であるとの前提の根拠はいったいどこからきているのか。
「一般都民の感覚」が単一である得るという前提や、「一般都民の感覚」が条例改正の動機となり、根拠となり得るという「答申」の発想そのものが、前近代的な共同体的発想であり、違和感と疑問を感じる。
・意見聴取義務は継続すべきである。
東京都青少年の健全な育成に関する条例第15条に基づく東京都知事に対する意見聴取義務は、条例の目的は幅広い市民の協働に支えられることで実現されるべきとの観点から、これを維持強化すべきである。
・罰則の適用は知事による措置命令を必要的要件とすべきである
東京都青少年の健全な育成に関する条例第25条(罰則規程)は、青少年への配慮の自主的努力を促進させる観点から、知事による措置命令を必要的要件とする制度に修正し、知事による措置命令に違反した者に対してのみ罰則を適用するよう修正すべきである。
・「遠隔自動監視システム付自動販売機」は「自動」販売機ではない。
自動販売機規制については、対面販売により青少年への販売を抑止するとの観点での合理性を考慮すべきである。
対面販売としての実効性を持たせ、「手動」操作によって成人だけに販売するいわゆる「遠隔自動監視システム付自動販売機」は、「自動」販売機ではなく対面販売の一種であるから、対面販売によって青少年には販売しないことの実効性と普及促進させる観点から、対面販売型販売書店として自動販売機規制の自動販売機等に関する適用除外対象とする旨、条例第13条を修正すべきである。
・健全図書のみを収納した自販機を規制する理由は無い
「答申」は、提言の中で、「年齢識別機等の設置とその24時間稼働を条例で義務づける必要」があり、「年齢確認をしないと機械内部の商品が見えない装置の設置とその24時間稼働を条例で義務づける必要」があり、「青少年が専ら利用する施設の周辺への自動販売機の新増設の制限について、現在の自主規制による自粛より、一歩踏み込んだ措置を講じることも検討すべき」であるとしている。
しかし、そもそも、条例13条の3は、自動販売機に指定図書類又は指定がん具類は収納してはならないことになっており、自動販売機に収納されている図書類は、東京都が条例を適切に施行している限りにおいて、健全な図書類だけであるから、仮に青少年が自動販売機の図書類を購入して収納図書を閲覧したとしても条例上、青少年の健全な育成を阻害し得ない。
もし自動販売機に収納されている図書類によって青少年の健全な育成を阻害されているとすれば、それは東京都が条例13条の3の実効性を確保する行政指導等が不充分であった証拠であり、東京都の条例13条の3の施行の不作為責任が問われるべきである。
「答申」は、東京都の条例13条の3の施行の不作為責任については一切触れておらず、自動販売機に収納されている図書類は条例運用上「健全」であることを自ら認めている。
したがって、「年齢識別機等の設置とその24時間稼働を条例で義務づける」合理的必要性はそもそも存在せず、「年齢確認をしないと機械内部の商品が見えない装置の設置とその24時間稼働を条例で義務づける」合理的必要性も存在せず、「青少年が専ら利用する施設の周辺への自動販売機の新増設の制限について、現在の自主規制による自粛より、一歩踏み込んだ措置を講じることも検討」する合理的な理由も存在しない。
・個別指定の不服申立手続きを条例で明確にすべきである。
区分陳列制度の項でも指摘したが、現行条例は個別指定制度の再審査申立制度の整備が存在せず、個別指定対象となるべきではない図書類が指定を受けた場合の救済制度が不完全である。
誤った判断に基く指定からの救済という観点だけではなく、不健全性の判断基準は永遠普遍の絶対的なものではあり得ず、時代状況や社会情勢、市民の価値観の変化などにより変化し得るものであるから、個別指定の不服申立手続きを条例で明確にすべきである。
この場合の不服申立権者は、購読者も利害関係を有することから、被指定者に対象を限定せず「何人も」にすることが望ましい。
「2 生活時間帯の変化等への対応」について
・「単なる教育観の相違」にすぎない親権者の養育活動に東京都は介入すべきではない。
「答申」は、「条例で子どもを深夜外出させない努力義務を親に課すことにより、親の責任を明確にし、その責任の自覚を促すことは、無駄ではない」としている。
「答申」がいかなる根拠に基いて「責任の自覚を促すことは、無駄ではない」と断じたのか不明であるが、そもそも親の責任がいかなるものかは各々の多様な価値観のもと私生活において評価されるべき事柄であり、単一の価値基準と単一の判断基準が存在するとの前提の上に立って公権力が「あるべき親の責任」を規範として作り判定することは、多様な価値観の共存と個人責任を重視する近代的社会においては容認されないと考えるべきである。
もちろん、「遺棄」や「虐待」は親の責任の放棄であると客観的に認識でき、親権停止を実施する制度は容認されるべきであり、現実にそうした制度は存在している。また、様々な養育上のトラブルは、福祉当局等による現行制度の柔軟な解釈により、解決が諮られている点は、東京都自身がその事実を示しているとおりである。
もし、「遺棄」や「虐待」が存在するのであれば、「遺棄」や「虐待」を規制する制度を東京都が運用すれば良いだけのことであって、現に存在する制度運用の問題の検証なしに「遺棄」や「虐待」に対する新たな条例規制を設ける合理的理由は無い。
「答申」は、現行制度では解決できない「遺棄」や「虐待」が存在するとの認識を示しておらず、「遺棄」や「虐待」とまではいえない「単なる教育観の相違」にすぎない親権者の養育活動について問題視し、親権を停止せよと提案しているから、「答申」の「生活時間帯の変化等への対応」についての提言には理由が無い。
「単なる教育観の相違」にすぎない親権者の養育活動に、東京都は制度で介入すべきではない。「余計なお世話」である。
そもそも、「答申」は、青少年が単独で深夜に外出しなければならない動機や理由について、科学的・実証的な検証を実施しておらず、子どもの立場に立った視点に立った調査、検証、考察をしていない。
子どもが深夜に家を出るという行動には理由があるのであって、その理由について個々の検証を怠ったまま親の価値観だけを矯正することは、子どもにとっての最善を侵害する可能性がある。
したがって、「答申」はこれを撤回し再諮問すべきである。
・深夜同行規制には合理的理由が無い
「答申」は、「青少年を犯罪に巻き込まれる危険から守るために、大人が、正当の理由なく保護者の嘱託又は承諾を得ないで、深夜に青少年を同行して外出することも禁止すべきである」としている。
だが、この「答申」の提言には、合理的根拠が無い。
たとえば、警察庁が公表している統計調査によれば、青少年が犯罪に巻き込まれる実際の時間帯は、深夜ではなく、午後4時から午後6時に集中している。
青少年が犯罪に巻き込まれることを防止するとの観点から本気で外出の時間帯を規制するのであれば、午後4時から午後6時の外出を規制することが合理的であるが、「答申」はこうしたデータについての検証や判断を恣意的に忌避している。
・条例による包括的規制ではなく個々の店舗の自主的努力を促すべき
「答申」は、業界の自主規制の状況と問題点について指摘し、「600店と過半を占める非加盟店には、業界の自主規制の効果は及んでいない」としているが、東京カラオケボックス事業者防犯協力会の非加盟店においても、店ごとに自主規制を実施している店舗も多数存在していることから、「答申」の認識は事実に反する。
また、漫画喫茶・インターネットカフェについても同様に、日本複合カフェ協会非加盟店であっても、店ごとに自主規制を実施している店舗も多数存在していることから、「答申」の認識は事実に反する。
業界団体への非加盟は、個々の店の営業的事情によるものであり、青少年の深夜利用を期待しているとの認識は事実に反した一方的見解である。
第3章青少年が犯罪を犯すことを防ぐために
「1 危険な刃物類の購入、所持と課題」について。
・刃物自体に悪意は存在しない
「答申」は、「日常生活において不必要な刃物を携帯することは、偶発的にあるいは結果の重大性を認識しないままに人を傷つけてしまう危険性がある」としている。
しかし、「偶発的にあるいは結果の重大性を認識しない」青少年は、刃物を携帯するしないに関わらず人を傷つけてしまう危険性があるし、銃砲刀剣類所持等取締法その他の法令での取締りも可能である。
従前の制度適用では青少年の凶悪犯罪を防ぐことは不可能であるとの根拠は示されていない。
そもそも、刑事事件においては、人間の行為は人間の自由意思によって導かれ、人間の自由意思のもとで悪意の犯罪行為が実行されたとの前提のもとで犯罪の責任性は問われるのであるから、刃物を携帯していないから悪意も存在しないことにはならず、刃物自体の責任性を問うことはできない。
常識的に考えて、刃物自体に犯行の意思が備わっているとは考えられない。犯行の意思は、あくまでも人間の自由意思であり、青少年の刃物に対する意識如何に関わらず、刃物自体に悪意は存在しない。
悪意や過失は人間の人格の問題であり、人格の問題は刃物一振りとりあげたところでどうなるものでもないことは、刃物類の青少年への販売等を条例で規制している地方自治体の青少年が、そうではない地方自治体の青少年に比べて格段に健全に育成されていることを示すデータが存在しないことからも明かである。
「2 古物買受け等の現状と課題」について
・従来の古書店まで規制することは合理的最小化措置に欠けている
現在、日書連の傘下にある都道府県の書店組合は、地元の自治体に対して青少年条例などを見直し、18歳未満の未成年からの古本購入には親の同意などを必要とする運動を展開している。
また2003年10月には、書籍、音楽CD、映画ビデオ、ゲームなどを販売、レンタルする業界5団体が声明を発表し、中古品販売店は18歳未満の買い取りでは金額にかかわらず身元と保護者の同意を確認することを表明している。
法制度上、書籍等の買い取りについては、古物営業法及び質屋営業法において古物商及び質屋が書籍等物品を買い受け、質受けする際には、盗品の売買を防止するために、相手方を確認し、不正品の疑いがある場合は警察官にその旨申告する義務を課すなどの規制が既に実施されている。問題があるとすれば制度を適切に運用しなかった、警察当局の怠慢に他ならない。
古物営業法では、対価の総額が一万円未満の書籍については、相手方の確認の義務を免除する規定が存在するが、この商取引の実態を踏まえたものであり、古物営業者によらず友達間で無理に買わせるが如き悪い商慣行の発生を抑止させる意味でも、一定程度の合理性があると思われる。
東京都は、「東京都青少年の健全な育成に関する条例では、青少年の保護や育成に主眼を置き、規制する事項は最小限にとどめ、都民の自由と権利を不当に制限することのないよう配慮すべきであるという基本的な考え方に基づきまして、青少年からの物品の質受け及び古物の買い受けにつきましては規制を行っておりません。 」との従来の東京都の姿勢方針(平成十五年一月三十日東京都議会文教委員会中島都民協働部長答弁)を、今後も継続すべきである。
「答申」は、「換金の容易な中古品市場の拡大に伴い、コミック本や写真集などを主力商品とするいわゆる「新古書店」が各地に店舗を展開し、持ち込まれる品が新しい物であればそれだけ高く買い取ることから、換金目的と考えられる万引き被害を増大させ、書店の経営の悪化を招くこととなったという報告もある」としている。
であるなら、古物の稀少価値のみによって買取り価格を決定する古書店と「新古書店」とを区別した上で、「新古書店」のみに対して買取り規制をすべきであり、古物の稀少価値のみによって買取り価格を決定する古書店を規制対象とするべきではない。
古い本に価値を見出し愛好し収集することは悪ではなく、むしろ子ども読書推進法の制定により子ども読書推進計画を策定した東京都にとって、読書の普及促進という観点から誉めるべきことである。
答申の規制案は合理的最小化措置に欠け、万引きの実効性ある規制合理性にも欠けているから、「青少年が正当な目的で古物を売却する権利まで制限しないよう配慮すべきである」との指摘を除き、「答申」はこれを撤回し再諮問すべきである。
第4章青少年が被害者となることを防ぐために
「1 スカウトの規制 」について
・スカウトのみでは労働に従事させたことにはならない
「答申」は、「風俗営業法は18歳未満の者を風俗業務に従事させ、客とするために勧誘すること自体は禁じていないため、同法を適用して事前に取り締まることはできない」としていることを理由に、スカウト行為を禁止すべきとしている。
しかし、 風俗営業法は18歳未満の者を風俗業務に従事させ、客とすること自体を禁じているため、仮にスカウト行為がなされたとしても、風俗営業法を適性妥当に施行しているかぎりにおいて、青少年に対する労働犯罪は発生し得ない。
問題の所在はスカウト行為にあるのではなく、18歳未満の者を風俗業務に従事させ、客とすること自体を禁じた風適法を適切妥当に施行し得ていない警察・司法当局の怠慢にあると考えられる。
警察・司法当局の怠慢を是正するための実効性ある規制措置が緊急に必要であると考えられるが、「答申」は係る問題認識に欠けており、不合理である。
そもそも「答申」自体、「スカウトの勧誘行為と他の行為を区別することは容易ではない」と指摘しているのであるから、「規制方法の検討が求められる」との「答申」の結論は自己矛盾している。
・生セラ営業と青少年の不健全な育成との因果関係は実証されていない
「答申」は、「生セラを都条例で何らかの規制をすべきである」としている。
「何らかの規制」が具体的にどのような規制なのかは不明であるが、生セラ規制には、単に生セラを不快に感じる個人の個人的な不快感が存在するだけであり、合理的・公共性のある規制理由が無い。
「答申」は、「大人の性的嗜癖を満たす手段のために青少年の健全育成が阻害されることがあってはならない。」としているが、青少年の健全育成が阻害されたという具体的な事例や結果の説明は無く、生セラ営業と青少年の不健全との因果関係については、科学的データに基く実証的証明が一切存在しない。
また、生セラ規制をした家庭がそうではない家庭よりも健全に育成されているとの因果関係を示す客観的データも示されていない。
青少年は多様な価値観を共有する近代的市民社会で生活する以上、生セラに代表される多様な性的嗜好が社会の中に存在し、自分にとっては理解できない価値が存在し、そのような価値を持つ他者と対等に共存して生きなればならないことを知ることは、多様な価値観を共有する近代的市民社会における青少年の健全な育成にとって不可避である。
よって、「答申」の提案は、共同体的価値観を有し多様な価値観を共有する近代的市民社会になじめない一部の大人の個人的な不快感を解消させるためだけの気休めに他ならないから、撤回すべきである。
第5章対策の実効性を確保するために
「1 深夜立入制限施設等への調査指導体制の充実」について
・警察官への立入調査権付与には理由が無い
青少年の健全な育成の問題は、治安問題ではなく、経済環境など社会環境や社会教育に属する問題であるから、知事の所管監督に属さず社会教育に関する専門的知識を持たない警察官に立入調査権を与えることは望ましくなく、警察官に課せられている行動規範にもとで業界指導などを行うことは、必ずしも好ましい結果を導くとは言い難い。
尚、警察官に都健全育成条例に基づく立入調査権を付与する必要性は認めるものではないが、仮に認める場合は、その権限を犯罪捜査のために用いてはならない旨、条例に明記することが必要であるとの「答申」の見解には合理性がある。
「3 緊急な指定への対応」について
・現在の指定審査体制が不健全な青少年を育てているという根拠は無い
「答申」は、「小委員会を常設機関とし、月に1回の審議会開催を待つことなく緊急に指定すべき不健全図書や危険な刃物の指定に対し、公平・適正かつ迅速に対応する体制を整備」すべきとしている。
しかし、月に1回の審議会開催によって指定が遅れた図書類を販売し、その図書類を購入した青少年が何名いるのかは明らかではない。 また、月に1回の審議会開催によって指定が遅れた図書類を購入した青少年の人数、そのうち凶悪犯罪を引き起こした実績に関するデータも承知していない。
よって、現在の指定審査体制が緊急な指定への対応が必要なほどの問題を抱え、不健全な青少年を育てているとの「答申」の認識には根拠が無い。
以上。
意見提出者
氏名:北野桂
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