Subject: [ami-ml 2766] 「よいこの唄」と自主規制について
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北野です。
今年8月、栃木県青少年健全育成審議会(*1)の答申に基づき栃木県から有害図書指定(*2)を受けた「よいこの唄」(*3)が「成人マーク」の表示をつけずに出版していたことについて、出版を擁護し、安易な自主規制やゾーンニングを排する観点から、コメントしておきたいと思います。
メガキューブ誌(*4)で連載されていた竹下堅次朗(*5)さんの「よいこの唄」は、昨年12月にその第一巻が出版され、出版と同時に多くの都道府県で有害図書の「包括指定」(*7)の対象となり、今年の8月22日、栃木県において「著しく性的感情を刺激し健全な育成を阻害する」ことを理由に、有害図書の「個別指定」を受けました。
「よいこの唄」の個々の性表現に着目している一部の方は、「成人マークをなぜつけなかったのか?」「成人マークをつけないのはおかしい」などという疑問や意見を持っているようですし、そのような意見はネットでも散見されたので私は承知しております。
しかし、「よいこの唄」が成人マークをつけて売ることができなかった「動機」や「理由」は、その作品内容から私は理解できますし、成人マークをつけなかった理由は正しかったと、私は考えます。
「よい子の唄」の一部の表現は、ある種の人にとっては「児童ポルノ」であり、性的感情を刺激したかもしれません。
しかし、「著しく」性的感情を刺激し「健全な育成を阻害する」とまでは、私は考えておりません。もしそう考える人がいたとしたら、その人は「よいこの唄」を作品として「読んでいない」か、あるいは「性的感情を刺激すること=青少年全員の健全な育成に有害である」という科学的に根拠に欠けた(というより「健全」や「有害さ」についての価値観の多様性を認めない)偏狭な認識を持っているかのいずれかだと言ってもよいのではないかと私は考えます。
「よい子の唄」は、去年の11月の発売ですので、今ごろ指定してもほとんど規制実行性が無いようにも思いますが、であればこそ栃木県における個別指定は「一罰百戒」的な効果を期待して指定されたものであると考えられます。悪質な指定だと思われます。
2巻目の発売で成年マークを表示することになるかは今の時点ではわかりませんし、最終的には株式会社コアマガジンの出版の自由の考え方次第だとは思いますが、状況的にみて、表示を検討せざるを得なくなるかもしれません。
もし、成年マークをつけて出版されるとすれば、出版社の売上や著者の版権収入に影響するだけではなく、「読者を失う」という大きな痛手を受けることになると思います。
著者の竹下堅次朗さんは2001年11月22日、ホームページの日記で「よいこの唄」の単行本出版に触れ、成年マークについて、以下のように書いていました。(*6)
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数年前(正確には9〜10年前)の有害コミック規制の流れから生まれた自主規制としての「成年コミックマーク」は、エロ漫画業界を守るため、はたまた小さいお友達が、間違って買うのを防ぐため、とまぁ色々な人の色々な目的のため活用され、あげく「成年マーク付いてるんだから、一寸位(かなり)過激な描写でも許される」と言う副産物とも副作用とも弊害ともとれるものを生み出しました。
そのことの是非を問う気はありません。むしろ成年マークは方便として知恵として非常に有用なものと思います。
ただあまりにも無自覚に、読者も作家も、その自主規制を受け入れてきた期間が長いせいで、何のために、どういう経緯でその自主規制が生まれたのかが見えにくくなっている。
さらに自主規制であることすら忘れられかけている。と感じます。
実は成年マークを付けずにエロ漫画を出版することは可能です。
ただ、自治体の条例で書店から追いやられたり、性器の描写が猥褻物陳列にあたり猥褻物陳列罪に問われる可能性はあります。そのことを、もう一度確認したい確認してもらいたい。と考えています。
何より、私は「よいこの唄」は18歳未満の読者にこそ読んで欲しいと考えています。
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「よいこの唄」は、黄色い楕円の成年マークを表示せずに出版・発売され、一般陳列されたことにより、栃木県から個別指定を受けました。
しかし、成年マークをつけずに出版した結果として、成人マンガファン以外の未成年者の読者をふくめて「よいこの唄」が購読され、18歳未満の読者の心の中で、なんらかの記憶を残したことは間違いない、と私は思います。
内容について一言述べるなら、「セックスは悪か?」という青少年の疑問に対するひとつの答えを、「よいこの唄」は描いたのだと私は受けとめています。(それだけが表現したかったことでは無いと思いますけれども)
有害指定という形で出版物を青少年の目から遠ざけることによって「セックスは悪である」「セックスの描写を見ることは有害である」という言論以外の言論を実質的に排除することは、「セックスは悪か?」というような問題を「議論することそれ自体」をも排除してしまいかねません。
という意味において、指定は、読者である青少年の情報権、思想信条の自由、表現の自由を侵害している、と私は考えます。
表現規制や・メディア規制の拡大が常態化する中で、竹下堅次朗さんが言うとおり、「成年マーク」なる自主規制の成立過程が、漫画家にも読者にも不明確になりつつあるように思われます。
18歳未満の読者を安易に置き去りにした「エロならマークつけて売ればいいじゃねーか」「規制から逃れたければゾーニングをやればいいだろ」的な打算的な考え方が、規制推進側だけではなく、漫画家、出版社、一般読者の認識の中に蔓延とつつある今の状況は、まったく遺憾なことであり、変えてゆかなければならない恐ろしい状況だと私は感じます。
熱いお湯に投げ込んだカエルは飛び出して逃げるが、水からゆっくり熱したカエルは逃げる機会を逃して茹であがってしまうという「茹でカエルの逸話」がありますが、私たちの社会が日常として受け入れてしまいつつある「有害図書指定」や「成人マークの表示」や「区分陳列」が、「茹でカエルの逸話」のごとき破滅的結末へのプロセスではないと言いきれるでしょうか?
情緒的な流通規制と打算的な「自主規制」が蔓延する困難な言論環境の中で、成年マークをつけずに出版することをあえて望んだ竹下堅次朗さんとメガマガジンの表現者・流通者としての気概を私は評価するとともに、18歳未満の読者の存在を置き去りにした安直な制度規制、漫画家による安易な表現規制、出版社による安易な成人マークの印刷や安易なゾーンニング、コンビニエンスチェーン等の安易な流通自主規制を、私は批判したいと思います。
「オレは成人相手のエロ漫画家だし規制されずに描けるんだから成人マークの印刷は超オッケー!」とか「オレはエロは描かないから成人マークがどう運用されようと関係無い」というような考え方をするひとがいるかもしれません。
それはそれでひとつの考え方だと思います。
しかし、どうかもう一度、有害とみなされている性表現や暴力表現によっても感動を創り得ること、18歳未満の人も「読む」という創造的行為の参加者であること、18歳未満の人も感動を共有し得るひとりの「人間」であることを思い起こしていただきたい。
そして、性表現や暴力表現などが含まれようとも、18歳未満の人が読むことを前提に創作されるマンガは成人マークをつけずに出版・流通させる自由と権利があるのだということに理解を示し、安易な「自主規制」や「他律的規制」への抵抗の意思を行為で示していただきたいと思います。
それが、有害図書指定という「不利益処分」を受けた創作者、出版社、書店を孤立させないことにつながりますし、将来、有害図書指定という悪い制度を廃絶する拠点をつくることにもなるだろうと思います。
*1 栃木県青少年健全育成審議会
http://www.pref.tochigi.jp/gyokaku/sonota/01/sin023.html
http://www.pref.tochigi.jp/josei/singi/kenzen-kekka.html
*2 栃木県広報 平成15年8月22日 号外73号 (PDF)
http://www.pref.tochigi.jp/reiki/gougai03/gougai03-73.pdf
*3よいこの唄 1 ISBN4-87734-602-3 株式会社コアマガジン
http://ww.coremagazine.co.jp/comic/comic/takeshita_kenjiro/index.html
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4877346023/ref=ase_rio-22/250-5714134-7069011
*4 「メガキューブ」株式会社コアマガジン
http://www.coremagazine.co.jp/megacube/mokuji08.html
http://www.coremagazine.co.jp/
*5 竹下堅次朗さん はぴど
http://homepage2.nifty.com/hapido/
*6 竹下堅次朗さんのHPの「店長日記」
http://homepage2.nifty.com/hapido/hapido.dialy.htm
*7 多くの都道府県で実施されている「包括指定」では、成人マークをつけていたとしても、また一般陳列されず成人コーナーだけに陳列されていたとしても、一定の範疇の表現を満たすだけで自動的に「指定図書」とみなされます。
「包括指定」では、一定の表現それ自体が問題とされ、出版社や流通者の自主的流通努力は勘案されず、個々の指定対象図書の認定作業や処分に対する異義申し立ての機会さえ無いという意味で、包括指定は表現の自由、出版の自由を侵害する制度といえます。
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日本国憲法第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。
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北野 桂
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