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イラク戦争報道管制問題(その11)
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2003.4.20

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アメリカのピープル誌の4月21日の号
表紙でポバイに登場するオリーブのように
ヒロイン扱いされたジェシカ上等兵。

メディアが衝撃的に伝え、様々な反響を与えたジェシカ・リンチ救出事件。

共同通信社は、当初、事件をこのように論評していました。
 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030402-00000079-kyodo-int

今回の戦争で捕虜の米兵救出は初めて。イラクの一般市民に対する誤爆や誤射が続き、米軍への批判が強まる中、電撃的な救出劇はブッシュ米政権や米国民にとっては朗報となった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030413-00000030-kyodo-int

リンチ上等兵の救出劇は米国民にとってイラク戦争の「最大のドラマ」として、テレビなどが連日大々的に伝えている。


当初、捕虜となったジェシカ兵を救ったのは英雄的な突入を繰り広げたアメリカ兵士たちだと伝えられていました。

しかし、実際には、イラク軍当局からジェシカを守ったのはイラクの情報局員と病院の医師たちで、戦闘できるイラク兵がまったくいない病院にアメリカ軍が誤爆砲撃したあげく、非武装の医師たちを虐待し、“捕虜”として強制収容所に送っていたという、おどろくべき非道な戦争の実態が、海外のメディアで明らかにされています。

残念ながら、ナシリア総合病院で起きたこの“誤爆救出劇”の実態について、現時点では日本のメディアはきちんと報道されていません。

アメリカ中東軍が提供した緑色の軍用映像を垂れ流し、結果的にアメリカ軍の士気高揚と情報操作に“協力”していたNHKをはじめとする日本のテレビ各局は、いますぐナシリアの病院に取材スタッフを送り、取材したうえで誤報を訂正すべきではないでしょうか。

■TIMES ONLINE
・ So who really did save Private Jessica?
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,5944-648517,00.html

以下、抜粋して意訳。

ジェシカを救出したのは本当は誰だったのか?
医師は、非武装民間人に対する軍人たちの脅迫に、抗議しました

イラクの目撃者によると、イラク戦争の最も困難な局面でアメリカ軍を鼓舞したジェシカ・リンチさんの救出劇は、アメリカ軍によって語られたような英雄的なハリウッド物語ではなく、彼女の生命を救おうと努力していた医師を暴行し、患者への脅迫が計画された作戦でした。

ナシリア総合病院の医師は、ナシリア市からすべてのイラク軍とバース党指導部が逃げてしまった翌日に空から襲撃を行い、イラク軍による抵抗はまったく無かったと証言しました。

4人の医師と二人の患者(点滴をして動けなかった一名を含む)は、サダム体制の失踪メンバーを捜索するため病棟内をあばれまわったアメリカ軍人に縛られ、手錠をかけられました。

来院した時、ジェシカさんは頭傷で苦しみ、足と腕は骨折し、足には銃弾傷があり、肺浮腫で彼女の呼吸は衰えていました。薬がほとんどない病院に戦争死傷者と一緒に搬送されましたが、彼女の状態は安定し、彼女は意識を取り戻しました。

Harith医師は、リンチさんの大好きな飲み物のオレンジジュースを与えるため、爆撃の中病院の外に取りに行き、そして彼女に食べるよう説得しました。

「私は、彼女に回復するために食べる必要があると言いました。そして私は、彼女にクラッカーを持って来ました、しかし、彼女の胃を悪くしてしまったのです。彼女は冗談で言いました『私はもっとスリムでいたいのよ』と。」

イラクの情報局員は、病院に伝えました。リンチさんはバクダッドに移送される候補のひとりだ、と。その言葉に彼女は脅えました。

彼女の状態が安定した後、情報局員は Harith医師にジェシカを別の病院に移すことを命じました。その代わり彼は、救急車の運転手に命じました。すでにouskirts市に設立されていたアメリカの辺境居留地のひとつに彼女を搬送するように、と。

「しかし、彼が彼らのチェックポイントに到着した時、アメリカ人たちが彼に発砲したのだ」と医師は言いました。

4月1日、バース党員がバクダッドからナシリアに逃げて、彼らの探していた捕虜がいる病院に到着していました。

Harith医師は、彼女を病院のほかの部屋に移動させ、他の医者が「ここに軍人はいません」と彼らに説明しました。

「医師たちがジェシカはすでに死亡したと判断し、彼女はここにはいないと言っていた」と告げました。混乱しあわてていた軍人は、小人数の重傷の軍人を病院に残して去りました。

アメリカ人たちによる“救出”作戦は、4月2日の夜に起きました。

病院は砲撃され、ヘリコプターで軍人たちがやってきました。

病院の医者たちの証言によると、病院の外には戦車が停車していました。

医者の大部分が1階のレントゲン課の避難所に逃げました。

「わたしたちは聞きました。彼らが銃を撃ちながら“突入! 行け! 行け!”と叫んでいたのを」とHarith医師は証言しました。

軍人のひとつの集団が、病院の外にある死亡した合衆国軍人の墓を掘り返し、他のもう1つの集団は、一度も病院で見たことがなかった化学兵器のアリとして知られるアリ・ハッサンや上級バース党員の人数について、医師たちに尋問しました。

「戦争だからって、医師がこんなふうに扱われていいはずがない」

病院長のアブドール・ラジク氏は最も不幸でした。彼は、もっとも安全だと信じられていたリンチさんのいた部屋を、アメリカ軍の砲撃から護ろうとしていました。

彼は拘束され、アメリカ軍のヘリコプターで彼らの基地に連行され、“屋外”の強制収容所に三日間拘禁されました。

彼が日焼けで真っ黒になって戻ってきた時、もうひとりのムハマド医師は「君の皮膚の色はこんな色だっただろうか…」と言いました。

現在、ナシリア病院は、薬、水、電気の適切な供給が無く、苦しんでいます。

「アメリカにはふたつの顔がある。ひとつは自由と民主主義、お菓子を子どもに与えるアメリカ人の顔。もうひとつは私の民族を憎悪し殺害するアメリカ人の顔です。ええ、だから私は納得がいきません。私は悲しいです。なぜなら、もう二度とジェシカに会えないから。ですが、私はとてもうれしく思います。なぜなら、彼女が去り、彼女が元の幸せな生活に戻ったから。もし、私が彼女にまた会って話すことができたなら、こう言うでしょう。“おめでとう”と。」


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(キタノ)
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