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映画振興に関する懇談会中間まとめへのパブコメ
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2003.2.20

2月19日、文化庁に、「映画振興に関する懇談会」の「中間まとめ」に対するパブリックコメントを送りました。

以下、コメント(草稿)を転載します。

関連リンク

■文化庁
・映画振興に関する懇談会
http://www.bunka.go.jp/main.asp?fl=show&id=1000015414&clc=1000002599&cmc=1000002607&cli=1000002612&cmi=1000002623
・「映画振興に関する懇談会 中間まとめ」に対する意見募集について
http://www.bunka.go.jp/main.asp?fl=show&id=1000015421&clc=1000011173&cmc=1000011542&cli=1000011544&cmi=1000015417
「映画振興に関する懇談会 中間まとめ」
・HTML
http://www.bunka.go.jp/main.asp?fl=show&id=1000015435&clc=1000011173&cmc=1000011542&cli=1000011544&cmi=1000015417

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文化庁文化部芸術文化課御中
「映画振興に関する懇談会中間まとめ」パブリックコメント担当者様

 「映画振興に関する懇談会 中間まとめ」に対する意見を送ります。ご手配の上、ご検討の程、宜しくお願い申し上げます。

                北野 桂
                kita@sings.jp
                http://zirr.hp.infoseek.co.jp/

「映画振興に関する懇談会 中間まとめ」に対する意見
氏名:北野 桂
住所:
電話:
意見:下記の通り

          記

「映画振興に関する懇談会 中間まとめ」に対する意見

1 懇談会は情報公開と説明責任を果たすべきである

 懇談会は情報公開と説明責任を果たしていない。

 たとえば、「中間まとめ」で示される「映画振興の原点は,映画界としての自主努力である」という考え方が示されているが、抽象的な理念 としては理解できるが、映画を含む映像関係者がしてきたと言われる「自助努力」なるものの具体的な実態が見えてこない。 

 そもそも、インターネットのみでパブリックコメントを募集しておきながら会議録をインターネットで公開していないなど、懇談会は説明責任を果たしているとは言えない。

 自助努力ついて判断の根拠となるべき情報が提供されない状況で、振興政策が必要であると提言されたとしても、その振興政策の必要性や妥当性を正しく判断することは困難である。なぜなら、「自助努力」の情報に対する評価如何によって、振興政策のあり様もまた変化し得るものであるからである。  

 懇談会はこの観点からの調査と情報公開をすすめるべきである。

 情報公開と説明責任を果たしていない段階で中間まとめを公開し、パブリックコメントを求めること自体、政策策定プロセスを誤っていることを指摘しておきたい。

2 「映画」の振興は「メディア芸術」に対する振興の中で実現すべきである

 映画が総合芸術であり、複製し大量に頒布することが可能な「メディア芸術」であるという懇談会の認識に異論はない。

 しかし、複製が可能であることと、実際に誰がどのようにどれだけ複製し、誰がどのように文化を享受ているのかという現実実態とは、区別して議論するべきであるし、映画とそれ以外の「メディア芸術」とを峻別して振興政策を策定することは、メディア芸術の諸芸術間の境界、とりわけ映画、ビデオ映像、アニメーション、CG、漫画との境界があいまいになっている今日、有益とは思えない。

 文化を享受する大衆から見ても、映画とそれ以外のメディア芸術を、明確に区別して享受しているわけではない。

 たとえば、映画館で観る「宮崎アニメ」と地上波テレビ映画として見る「宮崎アニメ」は、同じ「宮崎アニメ」ブランドとして評価される例が典型であろう。「宮崎アニメ」は映画ではもちろん、地上波テレビで観ても「宮崎アニメ」であるし、DVDで観てもインターネットオンラインダウンロードで視聴しても、「宮崎アニメ」としてのブランドは揺るがないだろう。

 複数のメディアで供給されても「単一の作品」として認識している点では、制作側としても同様である。アニメーションに限らず、撮影段階から撮影にデジタルビデオカメラが使用され、コンピューターグラフィックスやアニメーション映像のマザーデータは、コンピューターグラフィックスデータとして編集・制作され、映画フィルム、地上波用ビデオ映像、DVD用デジタルグラフィックス映像、インターネットストリーム配信用映像、インターネットダウンロード用映像など、様々なメディアデータにコンバートして供給することが可能となっているし、デジタル化によるメディアの多様な対応は拡大しつつある。

 文化芸術振興基本法においても、映画は「漫画,アニメーション及びコンピュータその他の電子機器等を利用した芸術」を「メディア芸術」ととらえており、「メディア芸術」に対して「製作,上映等への支援その他の必要な施策を講じる」と規定していることから見ても、メディア芸術の中で映画だけに特化して文化政策を講ずることは、法的にも文化政策上のバランスの上でも望ましくない。

 以上のような観点からすれば、映画振興の今日的な意味は「メディア芸術振興」と同義なものとして受けとめられるべきであり、映画館経営など映画に固有な問題としてとらえるべきではない。

「映画」の振興は「メディア芸術」に対する振興の中で実現すべきである。

3 ビデオ映像作品に対する文化支援・援助体制を整えるべきである

 デジタルビデオカメラの普及・発達・低廉化により、いわゆる映画興行関係者ではない一般の人が映像作品を創作し、インターネットなどで無料の映像芸術として発表する機会が増大しつつある現状を、政府として認識・評価するべきである。

 本格的な映画興行を除けば、ビデオ映像作品の制作経費は劇的に低廉化しており、映画館やパッケージメディアを経由せず、大衆が自ら作った映像作品を、インターネットを介して草の根的、相互的、国際的に低価格で共有し合うという状況が広がりつつある。このような動きを、政府は評価・支援するべきである。

 ビデオ映像作品の制作・流通に対する文化支援・援助体制を整えるべきである

4 経済的平等を実現するためのメディア芸術政策が必要である

 文化は、一部の富裕層のためだけのものではない。

 だが、現実には、映画を代表とする映像文化のほとんどが、高額な映画興行、高額なパッケージソフトとして提供されており、経済的不平等の結果としてメディア芸術文化を享受できない大衆を多く生み出している。

 憲法第25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とのプログラム規定が存在するが、こうした憲法人権規定を現実のものにするための具体的な政策が、「メディア芸術」文化の諸政策の上でも実現されなければならない。

 経済的平等を実現するという観点から、メディア芸術文化の享受のための具体的な政策を実現させるべきである。

 具体的には、各図書館におけるメディア芸術の購入・収納を促進させること。また図書館におけるメディア芸術の視聴のための設備を整備することも重要であり、そのための制度的措置を整備し、財政措置を講ずることが必要である。場合によっては、著作権の制限を含めた制度改正もタブー視することなく検討課題とするべきである。

 また、東京国立近代美術館フィルムセンターへの納入義務の実施に際しては、非営利または無償で享受されることを前提にした「映像作品」の納入に係る経費は国費で賄うとの制度が必要であろう。

 さらに、デジタルビデオカメラやコンピューター映像ソフトウェアなどによって創られる個人制作の非営利映像作品については、納入は義務ではなく任意とし、任意納入に必要な経費の全額を政府が負担するべきである。

5 フィルムセンターは「メディア芸術」の保存・普及を目的とするべ き

 「中間まとめ」によれば、フィルムセンターを東京国立近代美術館から独立させる際に、映画を含む広く「メディア芸術」として,漫画,CGアート(コンピュータその他の電子機器等を利用した芸術),ゲームなども保存や普及・上映の対象として取り扱うべきかは「今後の課題として検討する」との言及に留まっている。  フィルムセンターを東京国立近代美術館から独立させるとの提言には賛成である。

 しかし、独立させる際、フィルムセンターにどのような機能を持たせるかという点では、「中間まとめ」には疑問がある。

 2で述べたように、映画は映画単独でオリジナルだけをつくり続けているわけではなく、漫画やゲーム、テレビアニメーション番組などの作品が原作となって映画がつくられる場合は多々ある。

 逆に映画が漫画化、ゲーム化されたり、あるいは複数のメディアにおいて創られることを前提に企画されることも少なくない。

 メディア芸術は、諸芸術相互の文化的浸透力が密接であるとの特徴を考慮しても、また文化総体の保存の重要性を鑑みても、映画フィルムのみの保存では、失われつつある貴重な文化財を保護・保存するという目的を達成することは出来ない。

 したがって、フィルムセンターの再編の際、フィルムセンターは「メディア芸術保存センター」と名称を変更し、映画フィルム以外のメディア芸術全体の保存と普及を目的とし、予算措置を含め収集・保存を実施することが必要と思われる。「課題として検討する」などと甘いことを言っている時間的余裕はない。

 加えて、「映像作品」の多くは、小説や漫画などの原作作品、シナリオ、演出、音楽、音声、映像加工、コンピューターグラフィックス、グラフィックスプログラムなどの関連文化も、放置すれば消滅しつづけ永久に失われ、現に回復不可能なものも多くあることから、こうしたメディア芸術関連文化資料や関連データの収集・保存も「映像作品」の保存と同時に実現するべきである。

6 文化侵略とならないような配慮が必要である

 懇談会の、内外の「相互の文化を理解し尊重すること」との認識には同感であるし、民族や文化,宗教の違いに根ざす様々な問題や輸出問題の解決に文化的理解が有効との認識も、一概に否定しない。

 しかし、海外には、文化作品、とりわけ映像作品に対して「文化的侵略である」とか「自国文化の破壊を生み出す文化を排斥せよ」との考え方の下、対外排斥的制度が少なからず存在し、多くの日本の「映像作品」が排斥されている事実も、率直に認めなければならないと思われる。

 「顔の見える日本」は結構である。だが、その顔に「敵意」が表われていると海外から思われる場合は、「見える」ことがむしろマイナスに働くことを認識するべきである。

 不当・理不尽な自粛に応じる必要はないが、「顔の見える日本」である結果マイナスとなるような文化政策とならないよう、十分な配慮が必要である。

 以上の観点から、「海外展開への支援」に際しては、「製作費用回収を容易にすること」を目的とするのではなく、あくまでも日本の「映像作品」が海外に「受け入れられる環境を整えるための支援」を目的とするべきであると考える。

 たとえば、日本の「映像作品」の海外展開を支援するため「海外映画祭の出品に係る字幕作成やプリント複製への助成」に際しては、海外映画関係者の同意と協力を条件とし、「国際映画祭への支援の在り方の検討」には海外映画関係者の参加と同意と協力を求めるなど、日本側の都合で一方的に実施することのないよう政策的配慮が必要である。

7 「メディア芸術」の海外制作者の受入体制を整備するべきである

 「メディア芸術」の制作段階から外国人が参加し、外国人が参加することで「映像作品」が発達する例は少なくない。

 だが、海外の映像関係者の受け入れをしたくても、国内諸制度の壁が高いことが原因となって海外映像関係者の受け入れを躊躇する映像関係者も存在することから、「メディア芸術」制作関係者の受け入れのための環境を整備することが必要である。

 たとえば、入管法の在留資格の発行条件の緩和、その他外国人の在留に関連する諸制度の見直しと簡便化が必要であろう。

 海外文化を人的にも受け入れる体制を整えてこそ、海外からも日本の文化が受け入れられるということを理解するべきである。

8 制作関係者の労働条件を改善するべきである

 日本の「映像作品」をより優れたものとし,世界市場での競争力を高めていくために人材養成が重要だとの認識は理解できる。

 しかし、養成された人材の使い方によっては、養成そのものがムダになる可能性がある。

 たとえば、人材が一部の営利会社に集中したり、一部の会社の都合で複数の会社組織間の交流が妨げられたり、人材独占によって中小零細の映像制作グループがつぶれるようなことが増えるとすれば、文化全体にとって好ましくない状態が発生するおそれがある。

 人材は、その技術や能力を磨く機会を与えてこそ発達するものであり、能力を生かすことができない会社が人材を独占して能力をうまく使いき れないという状況は、解消されるべぎである。

 したがって、人材養成に際しては、一部営利企業の人材独占につながらないよう配慮し、有能な人材の流動化を促し、会社の都合でメディア芸術産業全体の人材開発や能力が失われることのないよう、会社側が求める囲い込み的な労働条件を規制し、人材の労働条件を保護するための労働法制度が必要であと考える。

9 雇用の流動性強化と労働条件の改善を強化するべきである

 時代の変化により、芸術作品やその創作方法が変化することは自然なことであり、不可避である。

 「中間まとめ」は、「撮影所が閉鎖されるということは,そこで長年培われ蓄積された映画表現を支えるノウハウ,映画という文化的財産を継承していくためには,製作現場と直結した人材養成という機能も絶えてしまうことを意味している」と述べている。

 だが、これは撮影所の人材を新たな芸術創造の場で生かせない一義的責任は会社の経営者にあり、硬直した労働環境や労働条件によるものであるとも考えられる。

 撮影所が閉鎖されることによって人材が失われるということに対しては、映画会社が独占的に人材を囲い込み、人的流動を妨げ、独占し続けて興行収入を独占しつづけてきた結果として人材が失われているとも考えられる。

 大事なことは、撮影所の閉鎖されることでも利己的な映画会社がつぶれることでもなく、組織がつぶれた時に技術と能力を持った人を受け入れる受け皿が存在しないことである。

 新たな芸術創造の場がつねに生まれている環境では、撮影所はひとつふたつつぶれても問題はない。働いていた人材がその能力を維持・発展させることができるような機会を与え続けることが重要である。

 利己的経営を続けてきたつぶれるべき映画会社や撮影所はつぶれて当然であり、その中で働いてきた人材の新たな受け皿をつくることを主眼として、文化政策はつくられるべきであると考える。

 たとえば、テレビ番組や番組制作会社の一部には、能力を有する映像関連人材は不足している分野もある。こうした分野への旧態依然とした映画産業からの転職を労働条件を改善して促すなど、労働条件の維持向上と労働流動化により、映像技術や人材能力が失われことなく、映像表現文化を維持・発展させることは可能であると考える。

10 上映機会の拡大のため「ベーシック・サービス」を導入するべきで ある

 多様な上映機会拡大のため上映支援の充実を図るべきとの提言には賛成である。

 近年、ITの発展とブロードバンドの普及により、配給会社や映画館を経由せずに、インターネット上で直接、大衆に映像作品を供給する環 境が整いつつある。

 民間放送局や一定規模以上のプロバイダーに対し、一定(たとえば総番組の10%程度)の「ベーシック・サービス」の導入を義務付け、「ベーシック・サービス」の対象範囲として、公益性の高い情報の提供の他、映画や漫画などのメディア芸術作品の提供を準公益的情報として認定し、メディア芸術を「ベーシック・サービス」にリンクさせてインターネットにおける普及を実現させるべきである。

11 ビデオ映像作品のインターネットダウンロード配給を援助すべきである

 高額な資本と人員が必要である映画フィルムの流通よりも、小資本つくられるデジタルビデオを使った映像作家たちの制作・配給活動を支援することは、次世帯の映像文化を育てる最良の戦略である。  

 とりわけ、ビデオ映像作品のインターネットのダウンロード販売(若しくはストリーム配信)に対する支援は、インターネットがメディアの中心となる将来、とりわけ重要である。

 興行収入の大半が映画館や映画会社やそれに関連した事業活動に吸収され、制作現場関係者に見帰りが少ないという状況は、もはや放置できない。

 映画館で見る入場料はテレビやネットでの視聴に較べ現状において高額であるし、DVDなどのパッケージソフトも海外の価格に較べて日本の販売価格は高額すぎる。

 インターネットのダウンロード販売によって低価格流通を実現させるためにも、流通構造の見直しに着手するべきである。

12 風営法の映像送信型性風俗特殊営業規制を緩和すべきである

 映像文化の発展のためには、いわゆる「有害情報対策」など、メディア芸術等に対する流通障壁となっている諸制度を見直すことが必要である。

 とりわけ、風営法、青少年健全育成条例などの流通規制と、こうした規制と共に進められる業界に対する厳しい行政指導は、少なからず創作環境と制作経営環境に悪影響を与えており、改善されるべきである。

 風営法で規定される映像送信型性風俗特殊営業の対象となる芸術作品は、警察庁の解釈によれば、キスや抱擁など性交類似行為の表現を二割以上含む映像及び静止画像と解釈されており、インターネット上で警察庁解釈の対象となる映画や漫画のダウンロード販売には、公安委員会の許可と一定の販売制限が課せられることになっている。

 また、警察庁解釈に抵触する画像がダウンロード販売されている場合、プロバイダーに削除努力義務も課すなど、非常に厳しい流通抑制制度が存在する。

 キスや抱擁など性交類似行為の表現を五分の一以上含む映像及び静止画像を成人以外の者に販売した場合に刑罰を与えるとの風営法の「映像送信型性風俗特殊営業」規制は、青少年規制条例の包括的有害指定と同様な包括的流通規制内容を持っており、映倫などの自主的倫理規制による自主的な流通倫理審査と比較して相当厳しい内容となっている。

 インターネットでの販売だけがこんなに厳しいのは不平等である。

 通信販売など、バッケージメディアでは自由な売買が認められるメディア芸術作品の販売が、インターネット上で販売する場合は風営法によって認められないという状況は、不平等であるし、インターネット上における映像流通が国際的に一般化する将来、深刻な貿易障壁や流通障壁となる可能性もある。

 風営法の「映像送信型性風俗特殊営業」規制、メディア芸術のインターネット上の普及にとって好ましくない、必要以上の規制防壁となっているし、流通規制のバランスにも欠いていることは疑いない。

 そもそもね風営法の映像送信型性風俗特殊営業は、青少年に対する悪影響への懸念があるとの前提にたって実施されているが、「有害情報」と呼ばれている映像や画像が青少年の育成を妨げるとの因果関係を証明する科学的調査は存在しない。

 日本国政府も公式見解として、「有害情報への接触が多い少年ほど非行の経験が多いという、そういった、因果関係ではございませんけれども、相関関係があるということが確認されております。」(2000年11月9日の衆議院青少年問題に関する特別委員会/政府参考人川口雄総務庁青少年対策本部次長(当時)発言)と答弁している通り、相関関係は認めながらも、因果関係は認めていないのである。

 つまり、政府見解の上でも、科学的根拠は無い。

 性情報が青少年を性的にするとのメディア効果研究における強力効果論は、科学的に否定されている一方、否定的な調査報告は存在する。有害情報が少年を有害にするとの俗説は、科学的立場からすれば、不信仰の魔女がチフスを広げるという中世の迷信と大差ないのである。

 もちろん、業界や制作者自身の自主的な倫理規制まで否定するものではない。むしろ、そうした自主的な措置は、法に基づく強制力を伴うものでないかぎり、望ましい。

 たとえば、DVD販売においては、平成13年度において業界団体が6000本もの作品を自主的に「成人指定」とし、自主的に販売流通を自粛され、社会から評価されている。これで良いのである。

 消費者の見る目を養うことこそ有害と呼ばれる作品を排除していくことになるという意味でも、映像送信型性風俗特殊営業に対する規制は、撤廃若しくは緩和されるべきである。

 メディア芸術の販売は「風俗営業」ではない。

 風営法を改正し、映像送信型性風俗特殊営業と呼ばれる映画、アニメーション、テレビ番組、漫画などのダウンロード販売に対する包括的規制を抜本的に解消し、文化政策との政策矛盾を解消し、政策的調和を図ることが必要である。

以上。


 

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(キタノ)
ki@tree.odn.ne.jp
http://zirr.infoseek.ne.jp/
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