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信濃毎日新聞社 高森和郎氏
もう一点なんですが、先ほど議長の就任の会見がありまして、その中で青少年健全育成条例について長野県だけが制定してないわけなんですが、知事なり県側がその制定しない考え方だというふうに承知してるので、議員立法でですね制定することを考えたいと、そういう趣旨のお話しがあったんですけれども、この問題というか青少年健全育成条例についてですね、有害図書の指定とかそういう問題もあるかと思うんですが、知事、改めてご見解ですね。どういうふうに考えておられるか伺えればと思います。
長野県知事 田中康夫
私どもはまさにこれは、あるいは数少ない県政の継続事項だというふうに逆にご指弾なさる向きもあるかもしれませんが、そうした条例化というものは私の前任者の時代、あるいはその前の前任者の時代から含めてですね今後も考えておりません。
これはなぜかということは、ご存じのように今個人情報保護法という名称のものと、人権擁護法という名称のものと、青少年有害社会環境対策基本法という名の三つの法案が国の段階においてですねメディア規制三法案と呼ばれてるものでございますが、これが国会において審議されようとしてるわけでございますね。 この名称というのは大変この個人情報保護法とか人権擁護法と、あるいは青少年とか社会環境という言葉が入ってるわけでございますが、これはまさに羊頭狗肉(ようとうくにく:見かけが立派で実質がこれに伴わないこと)なですね、羊頭狗肉ならよいわけでございまして、羊頭なんなんでしょうね、本当にまじめに畜産とかを行ってる方からしたら許しがたいような羊頭、頭と中身が違う法律であると思っております。
これどういうことかっていうと、私たちの社会はまさに一人ひとりが自立していく、自己判断をですね行える社会を目指していかねばならないわけでございます。
自己判断ができないまだ未熟であるという方がいらっしゃるならば、その方をですね一方的に規制をしたりするという形でなく、その方の自立を促すような私たちは行政というものは手だてをですね人的においても法的においても行わなければいけないということです。
これは青少年の問題に限らないわけですね。
ところが今行われようとしてる法律は何かというと、今申し上げました一人ひとりが自立して判断できるようになる社会というのは、いわゆる官、官僚の官ですね、官の増大化、肥大化というものを防いでいくということなわけでございますね。
にもかかわらず、例えば今度の青少年有害社会環境対策基本法案って長い話しでございますけど、これは各業界ごとに対策協会の設立を求めて認定個人情報保護団体とか対策協会とか、結果的にこれは役人の天下り機関になるわけでございますし、こういう名前というのはともすればですね、まさに大政翼賛会的なですね個々の自立を促すんじゃなくて、個々を鋳型の中に納めていくと。個人情報保護でも人権擁護でもないわけでございます。
この個人情報保護、人権擁護というようなものはですね、まさに逆に政治家であったり役人であったりの都合の悪いことを書かせないように皆さんが報じないように、語れないようにするということです。
これは非常に由々しいジョージ・ヨーエルも驚くような社会にするために羊頭狗肉のこの法案名がついてるというふうに私は思っております。
そして私は今まで公人というもの、まあかつて私が敬愛してました筑紫哲也氏は公人は政治家と官僚だけだと言いましたけど、そうではないということを私は昔から写真雑誌ができた時から終始一貫申し上げてきております。
反論する場が確保されてる方はある意味では公人であります。それを私は一つの尺度として同年代の方よりも例えば社会的な物質的な収入であったり、あるいは発言する場が確保されてる方。タレントの方もあるいは物書きの方もキャスターの方もジャーナリストの方も、ある意味では公人です。なぜならば自分が書いたりしゃべったり、あるいは会見を開いてそれを訴える場というものが比較容易に設けられる人。これは広い意味での私は公人であるというふうに思っております。
そうではなくて、まさに一意の姿勢の人たちの小さな過ちを一方的に書き反論する場がないというような形は、これはまさに私は回避するようにしなくちゃいけないと思ってます。
ある意味で言えば、長野県が昨年5月に出した「『脱・記者クラブ』宣言」の理念というものは、その後新聞協会の方々も表現という場の解放性、また新聞労連の方もその主催権ということも含めてですね、その開かれた形ということをおっしゃってるわけでして、これはつまり労組もそういう経営者も今変わりつつある中、政官のみがまさに都合の悪いことは隠そうとするという、情報公開や説明責任という言葉を掲げる政治や役人の世界が逆のことをこの三つの条例においてですね、あたかも市民を保護するかのごとき装いをして行おうとしてると。これは非常に大きな問題です。
ですから、長野県も青少年に関してというのは、これはやはり長野県の素晴らしさは、法律によってではなく一人ひとりが、一人ひとりの市民がまさに共同参画という言葉がある前から、青少年のあるべき望ましき人間としての成長というものを市民一人ひとりの共同参画によってですね育もうということできてるわけでございまして、これこそはまさに21世紀のですね一番先に進んだ形であります。
それを、全国の都道府県の中で唯一条例がないからということのみをもって条例を先に設けるということによって、青少年がかぎ括弧付き健全化かぎ括弧閉じ、するという考え方には私は与(くみ)することはこれはできません。
幸いにして多くの新聞社のみならず雑誌社やテレビ局もこのメディア規制三法案というものには懸念を表明されておりますけれども、やはりそれをより懸念を表明されてるこの内容というものをですね具体的により一人ひとりの市民の方に、私もまた皆さんもまたことあるごとにお伝えしてくことによってですね、こうしたまさに公権力というものの増長に歯止めを掛けるために本来個人情報保護であったり人権擁護ということが考えられるべきなのに、全くそれとは逆の方向に進む法案であるということの愚かさをですね伝え続けるべきだと思ってます。
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