---- 北の系2005 ----
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内閣府男女共同参画局への意見書(草稿)
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2002.12.13

関連リンク

■内閣府男女共同参画局
・「女性とメディア(ICT)」・「女性に対する暴力」についての情報・意見交換会の開催について
http://www.gender.go.jp/info/ICT-DV_meeting.html
・第4回世界女性会議 行動綱領(総理府仮訳)
http://www.gender.go.jp/kodo/index.html
・北京宣言及び行動綱領実施のための更なる行動とイニシアティブ(成果文書)
http://www.gender.go.jp/wy2000/initiative.html

 

内閣府男女共同参画局総務課 C国際担当(情報・意見交換会係)様

 北野桂と申します。
 この度、『「北京行動綱領」並びに「女性2000年会議成果文書」で採り上げられた「女性とメディア(ICT)」「女性に対する暴力」』に関し、内閣府男女共同参画局より募集がありましたので、ここに個人として意見書を送付します。
 ご精読の上、関係各機関においてご検討頂きます様お願い申しあげます。

・団体名:個人資格による応募
・執筆者:北野 桂
・住 所:
・電 話:
・FAX:
・電子メール:kita@sings.jp
・意見提案:下記の通り
 
           記
 

A 総論

1 ICTに序列をつけるべきではない

 今回、内閣府よりICT=重大問題領域につき意見募集があったが、他の諸課題を差し置いて「女性とメディア」と「女性に対する暴力」だけを優先して施策を進行させようとする内閣府の政治的判断の根拠について、説明がまったく無く、理解できない。

 たしかに、「北京行動綱領」V(ICT:重大問題領域)44には、「女性に対する暴力」という項目があり、「あらゆる通信システム,特にメディアにおける女性の固定観念化及び女性のアクセス及び参加の不平等」という項目が存在する。

 しかし、重大問題領域はこの二つの項目だけでは無く、「権力と意思決定の分担における男女間の不平等の是正」や「行政・公共サービスへの不平等なアクセスの是正」などの項目を含め、複数存在する。

 「北京行動綱領」44で示される諸課題は、そのうちひとつを実現すればよいというものではなく、そのどれもが実現されねばならない課題である。

 したがって、政府などの公権力機関は、「女性とメディア」と「女性に対する暴力」だけを重大問題として議論を優先すべきではなく、「権力と意思決定の分担における男女間の不平等の是正」や「行政・公共サービスへの不平等なアクセスの是正」を含めたパラグラフ44で示される諸課題について、序列をつけずに一律・同時に取り組むべきであると考える。

B 女性に対する暴力について

2 日米安保地位協定及び関連司法制度を改訂すべきである

 「北京行動綱領」113は、女性に対する暴力は「起きる場所の如何を問わず、国家が犯し又は許す肉体的、性的及び心理的暴力」を包含するとしている。

 「国家が犯し又は許す肉体的、性的及び心理的暴力」には、在日米軍基地の合衆国軍人による日本国女性・少女に対する凌辱、暴行、レイプなどが含まれると考えられるが、こうした在日米軍人による女性に対する暴力への政府の対応は、1995に沖縄で起きた米兵による少女強姦事件についての政府の対応などをみても、甚だ不充分と言わざるを得ない。

 1995年に発生した事件では、沖縄本島の女子小学生が在沖海兵隊員3人組に車で拉致され、人里離れた場所でレイプされた。被害者の訴えにより、沖縄県警によって在沖海兵隊員3人組に逮捕状が取られたが、当の本人たちは基地に逃げ帰り、米軍は日米地位協定を盾に起訴までの間、犯人の身柄を日本側に引き渡さないという方針を決定。これにより、犯人を正式に起訴するまでは日本の警察は身柄を拘束することさえ出来ず、事件発生から25日目にして起訴されようやく犯人の身柄が日本側に引き渡された。

 1995年10月8日にアメリカ・オハイオ州の地元紙デイトン・デイリー・ニューズが伝えた米軍基地の性犯罪記録の分析告発記事によれば、1988年以降、性暴力で軍法会議が開かれた件数は、海軍、海兵隊の事件記録の上では、日本の米軍基地が飛び抜けて性犯罪の発生が多く、7年間で169件発生し世界第一位である。むろん、米軍犯罪記録上の数値は、実際に発生している女性被害事件の氷山の一角の可能性が高い。

 だが、2000年03月15日参議院総務委員会における防衛施設庁の答弁によれば、昭和63年から平成11年までの間、実際に補償手続が実施された件数は、わずか三件という無残な状態である。

 こうした女性の暴力に対する法と行政執行の不備の背景には、不平等な地位協定と、日本における市民的人権保障の不充分さに起因する。

 日本政府は、上記事件について、「女性に対する暴力」という観点から政府の対応と諸制度に問題があったと認めるとともに、日米安全保障条約、同地位協定、沖縄基地特措法、司法手続き制度など、諸制度の改正と運用の見直しに着手すべきである。

3 メディアが女性への暴力に影響を及ぼすという認識に科学的根拠は無い

 「北京行動綱領」118は、「メディアにおける女性への暴力描写,特にレイプまたは性的奴隷状態を描いたものが,ポルノグラフィなど,女性及び少女をセックスの対象物として扱うやり方とともに,後を絶たない暴力の横行を助長する要因で,地域社会全般,特に子どもと若者に悪影響を及ぼしている」と述べている。

 この認識は、マスコミ効果研究における強力効果論仮説を前提とした認識であると思われるが、社会学的調査によれば、メディアが女性に対する暴力的志向に直接的な影響をおよぼすというこの仮説は実証不可能であり、限定効果論と相関関係を示唆する調査だけが認められている。  たとえば、1989年2月に英国政府が発表した過去2年間2000人の被験者を使った実験では、暴力的映像の長期影響は立証されていない。

 しかし、メディアの影響を相関関係的に示唆する調査結果が、厳密な統計学的な読み方を経ずにマスコミで報道され、それが短絡的に社会に広まっている状況も否定できない。

 こうした、非科学的俗説を国民全体が支持しているかのごとき仮想状況の中で、良識ある国民の理性的な批判を政府・与党が受けとめ、メディア規制的な規制制度を含む「青少年有害社会環境対策基本法案」の国会上程を将来に渡って断念したことは、理に適った適切な判断だったと考える。

4 情報発信者ではなく情報受容者に対する政策が必要

 もし、仮に、受容文脈論など学問的成果をふまえた上でメディアの影響に対する合理的対処を考えるのであれば、発信者であるメディアやその情報のコントロールではなく、どういう情況でメディアの情報を享受するのかという情報受信者の情況(受容文脈)を、精神的自由権を制限しない範囲で、当事者が自主的にコントロールする方法を検討しなければならない。

 とりわけ、親や教師に暴力を受けた子女や、いじめを経験した学童、暴力的実力行使を職とする防衛関係者など、暴力的行為を肯定する者が支配的であるような環境に置かれている学童に対する対策は重要である。

 具体的には、国民一般及び青少年に対するメディア受容環境の対策として、生涯教育を含めた教育機関において、メディアリテラシーの涵養を促す教育施策を用意することが、有効な施策といえる。

 政府など公権力機関は、教育機関その他のあらゆる場で、情報受容者に対する施策として、メディアリテラシー教育の実現のための具体的なプログラム作りに着手すべきである。また、教育機関における体罰の禁止と違反者への処罰は、メディアリテラシーの涵養の前提として重要であり、維持されねばならない。

C 女性とメディアについて

5 メディア集中排除原則の制度整備が必要

 「北京行動綱領」235は、「通信部門の職業に携わる女性で,意思決定レベルの地位を獲得した者,又はメディアの政策に影響力を持つ理事会や管理機関で働く者はほとんどいない。」と指摘している。日本においても、一部メディアにおいてそのような状況が見られるのは事実であろう。

 NHKの女性管理職登用制度については政府による経営指導が必要と思われるが、民間部門の管理職登用については、民間部門自身の責任もさることながら、実行性あるマスメディア集中排除制度を十分整備・運用し得ず、系列メディアネットワークによるメディア寡占を容認した政府にも、責任があることを指摘しなければならない。

 新聞社、テレビ局、ケーブルテレビ局、出版社、オンラインコンテンツ提供会社など、女性登用に積極的な企業の業界新規参入が可能となるよう、実行性あるマスメディア集中排除原則の整備に政府が努力することが、女性のメディア経営参加にとって重要である。業界の閉鎖的・保護主義的な体質を改善することは、そのような規制緩和が表現規制的なものとなら無い限り、女性の権利獲得に寄与すると考える。

6 言論の自由とメディアリテラシー促進のための政策が必要

 「北京行動綱領」236は、「暴力的で屈辱的又はポルノグラフィじみたメディア作品もまた,女性及びその社会参加にマイナスの影響を及ぼしている」と指摘している。

 だが、メディア表現がただちに表現通りの行為をもたらすという強力効果論が非科学的であることは、3で指摘した通りであり、同意できない。

 社会学的研究によれば、暴力的で屈辱的な表現でも、表現された暴力だけではなく暴力の加害者に対する制裁も同時に表現される場合は、メディア受容者はその暴力行為を否定的に受けとめることが、科学的に実証されている。

 また、表現上は暴力の表現であったとしても、その表現を共有した人(特に近親者)がその表現に対して否定的な見解が示す環境の中では、メディア受容者はその暴力行為を否定的に受けとめることができる。

 たとえば、水戸黄門のような勧善懲悪的時代劇番組では、悪代官が女性や弱者を暴行するという描写と助さん角さんが悪代官たちを叩きのめすという二種類の暴力表現が存在するが、一方的に支配を求める悪代官には厳しい懲罰が下り、悪代官を退治した黄門様には笑顔と感謝が向けられるという違いがある。このような番組では、悪代官的暴力は否定的に受けとめられる。

 また、こうした暴力表現の違いについて学ばせ、現実社会の中で暴力行為者に制裁が加えられる実例を示すことは、暴力表現のリテラシーの涵養と暴力行為の抑止にとって有用である。このような学習的効果を「観察学習効果」と言い、バンデューラ、スタイン等の研究者たちによって研究され、科学的に立証されている。

 だが、残念ながら、日本国諸制度と日本政府など公権力機関の対応はもとより、「北京行動綱領」と「成果文書」も、こうした科学的裏付けに基づくメディア受容政策を考慮していない。

 ユネスコは、1996年及び1997年に、メディア影響力の大規模な実態調査を実施し、World Organization of the Scout Movementと共同でユトレヒト大学において実際の調査・分析業務を行った。この報告において、「メディアにおける暴力は、しばしば“報酬を得る”ことが多いが、このことが子供に大きな影響を与える一つの原因と考えられる」というひとつの結論を導いている。

 だがこの結論は、「報酬が与えられる暴力」を制限する必要性を意味するものではない。「なぜその暴力に報酬が与えられたのか」ということを考える情報受容者の判断力の必要性を意味するものである。情報受容者のメディアリテラシーの涵養を促し、望ましい情報受信者の受容環境をつくる必要性があると、受けとめるべきである。

 こうした観点から、暴力や性表現に対する自由な批評・批判などを促すため、言論の自由を促進し、メディアの表現を自ら読み取るリテラシー能力の涵養を促進することこそが、求められるべき方策であると思われる。

 少なくとも、ポルノグラフィや暴力表現の創作者に対する規制、或いはメディア発信者に対する規制など、情報発信者に対する情報排除措置やメディアに対する情報隔離措置の必要性だけを求める議論は、科学的に有効な議論を沈黙させるだけであり、女性への暴力抑止に実効性が無い情緒的な議論であると言わねばならない。

7 メディア政策は言論表現の自由の確保が前提である

 「北京行動綱領」239は、メディアへの女性の完全かつ平等な参加を促進することなど、政府など公権力機関によるメディア管理政策の具体的内容を示している。

 だが、こうした政府など公権力機関によるメディア管理政策は、政府による番組内容の不当な恣意的表現統制と結び付く危険性がある。

 言論・表現の自由の確保が前提となっているからこそ、メディアにおける女性の地位向上は有意義なのであって、政府による言論・表現の自由の制限は、ただちにメディアにおける女性の地位低下となるおそれがある。

 したがって、政府は、メディアの自由、言論表現の自由、報道の自由、その他精神的活動の自由を制限しないことを前提に、メディアにアクセスする女性に対する支援措置を講じるなど、メディアを直接的に支配しない間接的な施策によって、女性の地位向上を図るべきであると考える。

 尚、「北京行動綱領」239の(e)及び(h)において、政府の施策の前提として「表現の自由に矛盾しない範囲で」との前提条件が付与されているが、この点については同意である。

8 表現に対する評価は国民自身によってなされなければならない

 「北京行動綱領」の243-245は、戦略目標として、「メディアにおけるバランスがとれ,固定観念にとらわれない女性の描写を促進すること」を要請している。

 ここでも、3で指摘した通り、非科学的な俗説が認識の前提となっており、同意できない。

 そもそも、「固定観念にとらわれない女性の描写」とは具体的に如何なる描写であるのか不明である。7で指摘した通り、政府など公権力機関によるメディア管理政策が、政府による番組内容の不当な恣意的表現統制と結び付く危険性がある。

 特に、「北京行動綱領」の243(d)は、「メディアに対し,女性を,創造的な人間,中枢的な行為者,開発の過程への寄与者及びその受益者である存在としてでなく,劣った存在として表現すること,また性的対象及び商品として搾取することをやめるよう奨めること」を求めている。

 「劣った存在としての女性表現」とは如何なる表現なのか、定かではない。

 また、「劣った存在としての女性表現」という文言の解釈は、それを読む者の価値観の違いなどにより多様であり、解釈の違いを生まない合理的規範性を持つ定義ではあり得ない。

 「劣った存在としての女性表現」のごとき抽象的文言を、政府などの公権力が独占的・強制的・一元的に解釈する場合、本来多様な価値観の保護の中で護られるべき精神的自由が制限されるおそれがある。

 このような政府の表現に対する管理統制の可能性は、主権者である国民による民主主義的統治の前提である言論の自由、表現の自由、報道の自由その他精神的自由権を侵害する可能性を含んでいると考えられる。

 したがって、「劣った存在としての女性表現」という文言の解釈は、表現に対する評価が国民自身によってなされるよう、言論の自由、表現の自由が確保された政府の干渉の無い批評空間において議論され、最終的には国民自身において判断すべきものであると考える。

9 芸術的審美観の多様性を考慮すべきである

 「北京宣言及び行動綱領実施のための更なる行動とイニシアティブ」、いわゆる「成果文書」パラグラフ29では、「ポルノグラフィや固定的性別意識に基づいた描写など、女性に関する否定的で、暴力的、品のないイメージが、時には新しい通信技術を利用して様々な形ではびこっており、また女性に対する偏見が今なおメディアに残っている」ことが「障害」として認識されている。

 8で指摘したのと同様に、「否定的で、暴力的、品のないイメージ」は抽象的であり、如何なる表現を含むのか不明である。

 ポルノグラフィや性表現のすべてがただちに「女性に関する否定的で、暴力的、品のないイメージ」であるとする認識には、多様な芸術的審美観を擁護する観点から、同意できない。

 性的イメージを描写するという意味でのポルノグラフィカルな芸術作品、あるいはサブカルチャー作品のすべてが、「女性に関する否定的で、暴力的、品のないイメージ」あるいは「女性に対する偏見」であるとする認識こそ、芸術作品乃至サブカルチャー作品に対する審美的評価の現実とかけ離れた固定的意識である。

 芸術的審美観の多様性を考慮しない、単純で非科学的なメディア規制や表現物流通規制は、女性の権利擁護とは無縁であり、政府の施策としてふさわしくない。

10 制度改正を含めた青少年施策の見直しが必要

 「成果文書」100(a)では、各国政府や国連システム、国際金融機関を含む地域・国際機関その他が「国内・国際レベルで取るべき行動」として、「メディアや情報業界に対し、表現の自由に矛盾しない範囲で男女の固定的役割分担意識を払拭し、バランスの取れた男女の描写を進めるための行動規範、職業上の指針その他自主規制型の指針を採用し、又は策定することを奨励するなどして、男女が生産者及び消費者として特に情報通信技術分野への平等なアクセスを確保できるよう、国内・国際レベルで、民間部門の関係機関やメディア・ネットワークと協力する」としている。

 「バランスの取れた男女の描写」がいかなる表現であるべきかは、各国政府や国連システム、国際金融機関を含む地域・国際機関その他が、一義的・一律に決定するべき事柄ではなく、表現者自身が決定すべき事柄である。

 その意味において、「表現の自由に矛盾しない範囲」という前提のもとで、表現者自身が自らの表現を達成させるために「自主規制型の指針を採用」することに異論は無い。

 しかし、日本の表現物流通の一部現場においては、「自主規制型の指針」とは言い難い公権力による他律的・強制的ルールを、「自主規制」の名目で押しつける実態が存在する。

 たとえば、改正風俗適正化法では、「映像送信型性風俗特殊営業」で販売される映像表現物の流通規制が実施されているが、平成14年1月22日に警察庁生活安全局長名で出された「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律等の解釈運用基準について」によれば、同法第2条第8で規程される映像送信型性風俗特殊営業の「性的好奇心をそそる」という文言について、「当該客の性的な感情を著しく刺激する目的であると社会通念上認められるもの」という極めてあいまい且つ広範囲の解釈可能性のある定義解釈を示している。(ここで言う「映像送信」には、複数ページの漫画作品のオンラインダウンロード販売も含まれると想定されている)

 さらに、同「解釈運用基準」によれば、「性的好奇心をそそるため」の具体的事例として、

「青少年保護健全育成条例等を制定している都道府県においては、著しく性的感情を刺激し、少年の健全な育成を阻害するおそれのある図書を有害図書として個別に知事が指定し、その販売等を規制しているが、多くの条例においては、更に一定の図書を包括的に有害図書とする制度を設けており、その基準として、図書については、全体の2割が次の内容であることを規定している例が多くみられる」

とした上で、

「映像の中に次の映像がおおむね2割以上含まれている場合には、「性的好奇心をそそるため」のものであると評価することができると解される」

と定義解釈し、以下の表現を規制対象とみなしている。


(1)衣服を脱いだ人の姿態で、次に掲げるもの
 (i) 大腿部を開いた姿態
 (ii) 陰部、臀部又は胸部を誇示した姿態
 (iii) 自慰の姿態
 (iv)排泄の姿態
 (v) 愛撫の姿態又はこれを連想させる姿態
 (vi) 緊縛の姿態
(2)性的な行為を表す場面で、次に掲げるもの
 (i) 男女間の性交又は性交を連想させる行為
 (ii) 強姦、輪姦その他のりょう辱行為
 (iii) 性交類似行為
 (iv) 変態性欲に基づく性行為

 こうした認識自体が、性表現をふくむ芸術作品や芸術的審美観に対する偏見であると同時に、女性の性役割を固定化するものである。

 「解釈運用基準」のように、定義解釈を警察庁という公権力機関が示す措置は、「成果文書」が求める「自主規制型の指針を採用」と矛盾する。

 そもそも、「解釈運用基準」で準用した複数の自治体で制定されている青少年保護健全育成条例等の表現物流通規制自体、公権力機関による直接的表現流通規制であり、「成果文書」が求める「自主規制型の指針の採用」と矛盾している。

 本来ならば、「成果文書」と矛盾する自治体の青少年保護健全育成条例等の表現物流通規制を撤廃するよう、自治体に対して「自主規制型の指針の採用」するよう働きかける責任が、「成果文書」を推進する政府にある。

 政府機関自ら「成果文書」と矛盾する対応をとっていた事実については、「成果文書」に賛成する立場から見ても問題があると指摘せざるを得ない。

 政府が、「自主規制型の指針の採用」に明白に矛盾するメディア規制的な制度内容を含む「青少年有害社会環境対策基本法案」の国会上程を、将来に渡って断念したことは、評価できる。

 しかし、政府の青少年政策、とりわけ「出版流通規制」を想定した平成14年9月25日付国家公安委員会規則第20号「少年警察活動規則」第11条は、有害環境の影響の排除にかかる都道府県知事への連絡等を行うものとすると規程し、「成果文書」の「自主規制型の指針の採用」と矛盾する青少年保護健全育成条例等の表現物流通規制を、政府機関が補完している。

 また、同規則第15条では、児童にその心身に有害な影響を与える警察庁長官が定める福祉犯(青少年保護健全育成条例の有害図書規制違反を含む)が発生した場合、「関係者」すなわち出版社や書店に対して「配慮を求め」、さらに「同種の犯罪の発生を防止するため必要な措置をとる」としている。

 この規程も、少年非行対策を名目に警察が出版社や流通販売業者への直接的指導を行い得る権限を認めたものであり、「成果文書」の「自主規制型の指針の採用」と矛盾する。

 以上のような政府の取り組みは、平成13年10月19日青少年育成推進会議申合せ「青少年を取り巻く環境の整備に関する指針」なる青少年対策政策の延長上に存在すると思われる。

 「青少年を取り巻く環境の整備に関する指針」は、「自主規制型の指針の採用」を踏まえた「各関係業界における自主規制の促進」のように見える部分もある。

 しかし、国の施策として行われる「法令に基づく取締りの促進」の各項目は、前述した風適法と青少年の保護育成に関する条例の他、児童買春児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律などの法制度に基づき「一層の取締りを促進する」として、公権力の法権限を背景に、業界の流通規制を促進しようとしている。

 要するに、以上ような政府の現青少年施策自体が、「成果文書」が求める「自主規制型の指針の採用」と矛盾しているのであり、「青少年を取り巻く環境の整備に関する指針」の廃止を含めた抜本的見直しが求められる。

以上。

 

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(キタノ)
ki@tree.odn.ne.jp
http://zirr.infoseek.ne.jp/
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