コミック単行本が刑法175条により、出版社社長、編集者、作者の3人が逮捕されました。
10月3日 11:45
成人コミック出版で摘発(共同通信社)
警視庁保安課は3日までに、わいせつなコミック誌を販売したとして、わいせつ文書販売の疑いで出版社「松文館」社長貴志元則容疑者(53)=東京都東久留米市=と編集局長高田浩一容疑者(43)=東京都世田谷区、漫画家諏訪優二容疑者(34)=埼玉県所沢市=の3人を逮捕、豊島区池袋の本社を家宅捜索し、雑誌約9000冊を押収した。一般に出回っている成人コミックの摘発は全国で初めてという。
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[共同通信社]
逮捕された3人は全員10月12日まで勾留されることになり、さらにもう10日間延長される可能性があります。
20日間のうちに、検察官は起訴するかしないかの決定をし、起訴されない場合、3人は釈放されることになりますが起訴されてしまった場合、保釈が認められない限り、3人の身柄拘束は公判まで続くことになります。
そして、これまた異例なことに、接見禁止付きとなっています。
彼らは、弁護人以外とは親族でさえも面会できない状態です。
また、捜索押収自体が目的物を明示しない包括的な令状による違法なものである可能性も判明しております。
戦う場合、到底、被告人や弁護人だけでは戦い抜けるものではありません。マンガ業界を含め、より広範な運動にしていくことが必要になります。
皆さんご存じの通り、「被害者無き犯罪を裁く為に存在する」刑法175条は明治時代から変わらず、法文の曖昧さ故に、しばしば官憲の手によって突然持ち出され、多くの表現者を苦しめてきました。
裁判で争い、決着がつくまでには10年もの歳月を要することから、この法律と戦うには人生の多くの部分を犠牲にせねばならず、表現者の多くはただ、官憲の言うがままに、「易々と上げられる鴨」となってきました。
そして、映画や小説の分野では、多くの心ある先達がこの法と戦い、その業界の自由を獲得してきました。
今回、マンガが槍玉に上げられたのは、マンガ業界がこの法律と、最後まで戦った歴史を持たない、若い、未熟なメディアであるからに他なりません。
マンガが、その歴史の未熟さ故に「ちょっと脅せば、またすぐに白旗を揚げる業界である」という意識が、そこには確実に存在します。
しかし、ここで皆さんにお考えいただきたいのは、「それでは、マンガとは一体、どのように猥褻であるのか」という点です。
ごく素直に考えれば、マンガとは所詮「絵に描いた餅」であり「全き絵空事」です。
マンガとは、作者が原稿用紙に描いた線の集合体であり、それは「絵」と「文字」の丁度中間に位置する、とても曖昧な表現物なのです。
そこには「被写体」も存在せず、多くの場合、「モデル」も存在しません。
「猥褻」の要件となるのは、多くの場合「人物の性器」です。
マンガを良く読まれる方はご存じでしょうが、マンガにおける性器の表現は、作者の絵柄によって、非常に様々です。
マンガという表現物が、作者個人の描く曖昧な線によって構成されるものである以上、同じ「性器」の描写であっても、その作者の個性によって、「猥褻」であったり、「猥褻」でなかったり…という事態が発生します。
これは、とりもなおさず、マンガを「猥褻」とする判断基準は、それを見る者の主観による、恣意的な判断にならざるを得ない、ということなのです。
「性器描写」および「猥褻」を原理的に受け取るならば、「絵」や「マンガ」では、「動物の性器」や「赤貝」などを描いても、それを主観的に「性器描写である」として、刑法175条を適用できてしまうのです。
そこで、「女性器」を考えてみましょう。
女性には、男性のように、外に向かって大きく突出した性器はなく、細かなディティールを割愛して描くマンガの世界では「一本の線」で表現されます。
では、「女性器があるべきところに引かれた一本の線」は、果たしてそれは「女性器」なのか、という問題もあります。
マンガは所詮は「原稿用紙に描かれた線」でしかなく、それを「性器」などと「認識」する作業は全て、読者の「マンガの認識力」に委ねられている以上、マンガという物体をしてその内容を「性器」または「猥褻」と判断することが、論理的に正しくないのは、明白ではないでしょうか。
さらに、「江戸時代の枕絵などは猥褻ではないのか」という問題もあります。
こちらも皆さんよくご存じの通り、現在では「芸術的価値のあるもの」として、男女の交合の場面を、性器の描写も含めて、子細に描いた枕絵が、「猥褻」とはされず、現在、極めて合法的に流通しております。
勿論、性器の部分にぼかしやモザイクなど、一切、入っておりません。
では、そのように「芸術的価値のある絵」と「マンガ」に、法的な面で、どのような線引きが可能なのでしょうか。
「歴史的価値」の「歴史」とは一体、何年の「歴史」があれば、そこに「価値」なるものが生じるのでしょうか。
勿論、ここで「全てのマンガは芸術である」と言い切れるものではないでしょうが、しかし、今回の判断は、あくまで憲法に護られた民主主義国家における「法」の視点からの判断です。
「法」が、「芸術」と「芸術に至る可能性を秘めた創作物」の線引きを行って良いものなのでしょうか。
それは、「真・善・美」の「善」が、一方的に「美」を規定し、それを貶める行為なのではないでしょうか。
加えて言うならば、今回、猥褻であるとされたマンガは、性器の部分には「消し」が入っておりました。
また、マンガ業界の自主規制によって「あからさまに性的文脈にあるマンガ作品は、18際未満の読者が購入閲覧できないようにする」取り組みも行われております。
今回取り上げられたマンガ作品は、表紙には明確に「成人向け」と記載されており、かつ、書店の店頭では、ビニール袋に梱包して、中身が見られないような状態で売られていました。
現実的なゾーニングの処置は、既に成されていたのです。
一方、あくまで業界の自主規制によってマンガにおける性器描写に入れられる「消し」については、今回上げられた本以外では、何年も前から、「まったく消
しのないもの」も市場に多く混在しており、それらが猥褻で裁かれることはありませんでした。
そういった現実を踏まえると、今回、「消し」があり、「成人向け」と明記され、ビニール袋によるゾーニングまで為された本が「猥褻」とされることは、非常に恣意的かつ粗雑な認識による、一方的な表現弾圧に他ならないのではないかと考えます。
ここには、純粋な意味で、表現をし、表現を受け取る「国民の権利」と、公序良俗の維持のために、極めて主観的かつ恣意的な「国家による検閲」の対立関係があると考えます。
マンガという「作者の内面からのみ表出された全き創作物」を、このように裁くということは、「表現の自由」のみならず、「内心の自由」にも抵触する、極め
て危険な行為であると考えます。
今回の事件は、それだけではありません。
例えば、写真雑誌などにヌードを掲載する場合を考えて下さい。
ヌードモデル、カメラマン、編集者が、それに携わります。
その雑誌が「猥褻」とされた場合は、「性器を隠蔽しなかった」という理由で、出版社と編集者が裁かれるのが自然であり、単に被写体であったモデルと、撮影をしたカメラマンは、それらが編集作業において責任を持つものでない限り、175条に抵触するものではありません。
同様なことが、マンガにおいても言えます。
作者が、性器の描写も含めて描き、編集者が、自主規制により、性器の部分に「消し」を入れた上で、マンガは市場に流通します。
マンガ家自身が、その自主規制の責を負うことはありません。
もし、マンガが「猥褻」たり得るとしても、そこで自主規制の責を負わぬ作者自身が逮捕されるなど、極めて常識的に考えて、あってはならぬことなのは明白です。
ですが、今回は、作者も逮捕されています。
これはつまり、「投稿写真」雑誌において、読者によって投稿された「性器の写った写真」に編集者が「消しを入れなかった」かどで、その投稿者をも逮捕するような行為である、ということなのです。
私は、このような暴挙は、民主主義国家において、到底容認されてはならないことだと考えます。
小説や映画において「表現の自由」を「勝ち取られてしまった」官憲が、今度は未熟な文化であるマンガをターゲットにし、このような暴挙を働いている事実は、今後、広く世に知らしめ、私たち国民の側から、国家による一方的な権利の簒奪行為を、強く糾弾していかねばならないと考えます。
表現の自由を含む、私たち国民の権利が、このような粗暴なやり方によって不当に侵害されることは、私たちの手で、くい止めなければなりません。過去の悲惨な弾圧の歴史は、決して繰り返させてはなりません。
どうかこの件について、皆様のお力をお貸しいただければ幸いです。
最後に、担当の検察官は、東京都千代田区霞が関1-1-1 東京地方検察庁 和久本検事です。抗議や要請のあて先はここになります。
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